セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.144『機械か、人間か』

オピニオン

2007-02-05

 柳澤厚生労働大臣の「女性は子どもを産む機械」という発言が大問題となっている。私は、この人の予算委員会などでの答弁は、小泉内閣の金融担当大臣のころから、論理的で分かりやすいと感じていたのだが、大蔵官僚出身の悲しさか、出生率を統計学的に説明しようとして墓穴を掘ってしまったようだ。こうした比喩表現というのは、物事を分かりやすく伝えるために非常に効果的な方法なのだが、用い方をひとつ誤ると差別や冒涜にまでつながる。

 以前、某外資系の元売会社の名古屋支店長が、岐阜・長良川のホテルで催された特約店会での席上、自らを鵜飼いの鵜匠になぞらえ、「私共○○石油は、今後とも特約店の皆様に存分に稼いでいただけるよう、しっかりと手綱さばきをしてまいりたいと思います…」と言ってしまった。長良川の有名な鵜飼いにちなんで気の利いた例えを用いたつもりだったのだろうが、鵜は飲み込んだ鮎を全部吐き出させられる哀れな鳥で、一部の動物愛護団体はこの伝統漁法に反対しているほどだ。特約店主たちは、「我々を鵜のように“生かさず殺さず”の状態にしておこうという元売の本音が出た」と怒り心頭、支店長は平謝りとなった。これも、比喩表現の悪い用法のひとつだ。

 それにしても、女性を子どもを産む機械呼ばわりするなんて、とても教養のある人間の言葉とは思えないが、人間を機械に例えること自体は珍しいことでも、衝撃的なことでもない。「お前たちは“商品を売るマシン”だ」と叱咤する管理職や、「従業員はコストだ」と言い放つ経営者はその辺にゴロゴロいる。いや、むしろ、世の経営者の多くは、従業員が本当に機械であったなら、と思っているのではなかろうか。

 命令されたことを、忠実かつ徹底的に行なう“人間型ロボット”であれば、賞味期限切れの卵を使って洋菓子を作ったり、ガス湯沸かし器を不正改造するようなことはしないだろう。ロボットであれば、福利厚生はおろか、給料を払う必要もない。褒めたり、叱ったり、励ましたり、慰めたりといった手間のかかるケアをすることもない。ああ、従業員ロボットがあればなあ…と思っている経営者は結構いるに違いない。

 ガソリンスタンド業界では、セルフシステムの開発によって、この夢に一歩近づいたと言える。給油に来たすべての客に、選り好みせず、同じ調子で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と挨拶することは、人間にはできない。炎天下でも、寒空の下でも、文句ひとつ言わず、受注し、油を出し、精算する。しかも常に正確である。回収した売上金をくすねることもない。機械に任せておけば安心なのだ。今後、テクノロジーの進歩とともに、完全無人のセルフスタンドを運営することも可能となろう。

 そんな考えは、あまりに殺伐としていて、温かみがないとおっしゃる方もおられるだろう。しかし、私が言いたいのは、本来機械ができる、いや、機械のほうが上手にできることは機械に任せておき、人間は機械には成し得ない創造力や表現力を発揮できる分野で働くべきではないか、ということなのだ。例えば、あそこのセルフスタンドへ行くと、従業員が手品ショーをしていたり、ギター演奏をしていたり、似顔絵を書いたりしてくれる、というのはどうだろう。客も従業員も楽しめる、人間味あふれる店になるんじゃないだろうか。

 開店休業状態のピットルームを改装して、カルチャースクールやフリーマーケットが開けるようにしてみたらどうだろう。大抵は、「お客様とのふれあいを大切にしたい」とか何とか言って、実のところは、車検や洗車の収益に結び付けようという魂胆の経営者が多いのだが、本当に地域の人に親しんでもらいたいと思うのなら、商売っ気を捨てて自分の店を提供するぐらいのことをやってみてはどうか。そんなことしても儲からんと言うなら、「地域のみなさんに愛される店作りを目指したい」などというキレイ事は言わないほうが良い。むしろ、はっきりこう言ったらどうだろう。「当店に来店するお客様は、我が社に利益を生み出す“機械”なのだ」と─。

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