セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.147『夢よもう一度』

GS業界・セルフシステム

2007-02-26

 いまから7~8年近く前の話だが、知り合いの弁護士からある依頼を受けた。あるガソリンスタンドの仕入れ台帳を精査し、過去数年間の仕入れ価格が、当時の相場価格と比べて適正なものだったかどうかを判定してほしいというのだ。そのスタンドは、元売から直接ではなく、大手特約店を介して商品を仕入れている、いわゆる三者店だったのだが、その経営者が経営難を苦に自殺してしまった。遺族は、仕入先が不当に高い商品を売りつけたことが経営難を招き、経営者を死へ追いやったのだとして、仕入元の特約店を告訴しようと、その弁護士に相談に来たというのである。「石油業界のことはよくわからないので、和田さんに見てもらおうと思ってね。過去の仕入れ価格が本当に不当に高いものなのかどうか調べてほしいんですわ」─。

 何とも気の滅入る頼みを引き受けたのだが、仕入れ台帳に記録されていた価格は、安値とは行かないまでも決して“高値”とはいえない、ごく標準的な数字が並んでいた。「先生、調べてみましたが、おっしゃるような不当な高値で売りつけられた形跡はありませんでしたよ。ただし、以前は決算時などに幾らかの価格調整がなされていたかもしれませんが、近年、それがなくなっていたかもしれませんね」「そうですか…。いやどうもお手数おかけしました」─。

 この事案が法廷で争われたのかどうかも、私は与り知らない。いずれにしても悲惨な出来事であった。その後も、ガソリンスタンドの倒産・廃業は跡を絶たず、世間で言われる好景気をよそに、いまも大多数のガソリンスタンドは、苦しい経営を続けている。1996年の特石法の撤廃、1998年のセルフ方式の認可が、この業界に過酷な競争をもたらすことになった。その激変時には、元売会社においても、辛く苦しい葛藤があったと聞く。

 ある外資系元売に勤めていた人から聞いた話だが、親会社から派遣されてきた外国人社長は、ある中堅特約店に対して恒常的になされていた“事後調整”を中止するよう命じたのだが、その特約店を管轄する支店のスタッフ(彼もその一員だった)は、そんなことをすればその特約店を裏切り、見捨てることになると苦悩した。そして支店長は、本社の日本人重役と密かに協議し、異なる名目で予算を引き出して調整を行なったのだ。

 さて、その後まもなく開かれた賀詞交換会では、その特約店経営者が、本社の社長の前でうっかり事後調整の御礼などを言わないよう、支店スタッフが両脇をぴったりガードしていたという。無事、パーティを乗り切ったと思いきや、外国人社長は支店スタッフたちに、「君たち、あの特約店にカネを出したんじゃないのか」と詰問した。「なぜなら、あの会社が賀詞交換会に出てこれるはずがないし、出られたとしても、私が注ぐビールをにこやかに受けられるはずがないからだ!」─。

 「背筋に戦慄が走った」とその人は言っていたが、その言葉を聞いた時、「ああ、これから“地獄”が始まるんだ」と感じたそうである。いくら本社の命令とはいえ、これまで一緒になって油を売ってきた特約店の人たちを、手のひら返したように切り捨てるようなことは、良心にもとるものであり、耐え切れずに早期退職に応じたと彼は語った。

 自殺に追い込まれた経営者も、職を辞した元売社員も、古き良き時代への郷愁を断ち切ることができなかったのかもしれない。ところで、“事後調整”という言葉は、いまや“死語”となっているが、昨今、形を変えた事後調整が行なわれているようだ。それは「セルフ補助」なるもので、自社スタンドをセルフに改造すれば、向こう何年かに渡ってインセンティブを出すというものだ。「セルフに非ずんば特約店にあらず」というわけか。しかし、最近では、セルフに改造してもひと昔前のように販売量を二倍、三倍にさせることが難しくなっている。また、当初はリニューアル効果によって売れても、次第に減販し、運営コストが重くのしかかってくる、といった状況が生じているようだ。そのころには、頼みの綱であった「セルフ補助」は打ち切られ、改造時にはあれほど“親切”だった元売社員が急によそよそしくなり、自己責任だの自助努力だのと言い出すようなる。その結末は…。

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