セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.183『目からウロコ』

オピニオン

2007-11-19

 『目からウロコ』─この一ヶ月ほどの間に、毎週このコラムを読んでいるという三人の方から電話やメールを頂いた。いずれもスタンド経営者なのだが、その三人が三人とも、私のコラムを読んだ感想を「目からウロコ」とおっしゃったので、今回は、このことわざについて考えてみたい。

 正しくは「目から鱗が落ちる」というこの慣用句の意味は、「何かがきっかけになって、急に物事の実態などがよく見え、理解できるようになる」(大辞泉)ということである。毎度、テキトーな事を書き連ねている私のコラムを読んだことがきっかけとなって、「物事の実態がよく見える」ようになったとは、にわかには信じられないのだが、お世辞でも、褒めていただいて嬉しくないはずがない。大変励みになり、ありがたくもある。テクナシステムを導入していただければなおありがたい。

 ところで、この言葉の由来は、新約聖書の「使徒行伝」という書にある物語が由来となっている。キリスト教の草創期、増え続けるクリスチャンたちの存在を恐れる一群の人々がいた。それはユダヤ教の宗教指導者たちである。彼らは、これまでの伝統や因習を否定し、神の王国の到来を説くクリスチャンたちを異端者と断じ、激しく迫害した。そうした人々の中に、サウロという名のユダヤ教の若きエリートもいた。彼はクリスチャンと聞けば、老若男女を問わず捕まえて投獄する非情な男であったが、クリスチャン狩りのために、ダマスカスへ向かう道中、天からの強力な光によって失明し、「なぜあなたはわたしの兄弟たちを迫害するのか」というキリストの声を聞く。

 自らの過ちを思い知ったサウロが、供の者たちに手を引かれダマスカスへたどり着くと、そこであらかじめ彼が来る事を告げられていたアナニアというクリスチャンに迎え入れられる。アナニアがサウロの頭に手を置くと、その両目からうろこのような物が落ち、彼は視力を取り戻した。その後、彼は迫害者から一転してクリスチャンとなり、その名をパウロと改名したのである。

 このように、元来「目からウロコ」とは、まちがっていると思っていたことが実は正しいことだったと悟る、あるいは、正しいと信じていたことが実は誤りであったと気づかされるという、まさに180度転換するほどの劇的な体験を意味しているのである。

 セルフ時代が始まってまもなく10年が経とうとしているが、その間に、石油業界の“常識”とか“伝統”とされてきたものが次々に覆されてきたように思う。また、セルフスタンドのあり方も、当初のそれとは変化しつつある。そうした事象を直視せず、いまだ量販政策を進める元売の販売プログラムに盲従するようなら“救い”は得られないだろう。

 もちろん、私が主張していることが、すべて正しいということではない。もしかしたら、私の考えのほうがまちがっていたということになるかもしれない。しかし、「おかげさまで利益があがるようになりました」というユーザーのことばを聞くと、どれほど異端視されようとも、謙虚に、そして愚直に、ローコスト・セルフへの転換を訴えてゆこうとの決意を新たにするのである。

 迫害者サウロから、クリスチャンに転向したパウロは、その後、殉教の死を遂げるまでキリスト教の発展に尽くしたが、そのために、ユダヤ教の指導者として得られたであろう地位や名声や富をあとにした。しかし彼はそれらを惜しむことなく「くずのように捨てた」と述懐している。

 ガソリンスタンドのセルフ化は、そこまで大げさなものではない。だが、固定概念に固執したり、過去の成功体験にこだわったり、業界内での体面を気にしたりしてセルフ化に二の足を踏んでいるスタンド経営者に出会うと、その目を覆っている“ウロコ”を引っぺがしてやりたい気分になるのである。

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