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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.188『ミッキーマウス』

エンタメ・スポーツ

2007-12-24

 1911年、米国カンザス州のと或る小学校で、4年生が花の写生の授業をしていた。正面の教壇に置かれた花を生徒たちが写し取っている中、教師がゆっくりと巡り歩いている。すると教師は、ある男の子の横まで来ると立ち止まり、その生徒をひどくしかりつけた。「なんですか、その絵は!」─。

 他の生徒が、できるだけ忠実に花を描こうとしている中、彼の画用紙だけ、花は人の顔になり、葉の代わりに腕が生えていたのである。しかし、後にこの少年は漫画家となり、彼が生み出したキャラクターは世界中の人々に愛されることになる。少年の名はウォルト・ディズニー。

 漫画で身を立てるのは容易でなく、いったんはあきらめかけたウォルトをついに世に知らしめたのは、ミッキーマウス初登場のアニメ映画「蒸気船ウィリー」(1928年)だった。この映画は音の入った初のアニメ映画でもあったが、資金が乏しかったため、ミッキーのあの甲高い声をウォルト自身が吹き込んだのだという。映画は大ヒット。以来、ミッキーマウスは、どんなハリウッドスターも太刀打ちできないスーパースターとして、きょうまで君臨している。

 「来年はねずみ年」と考えてまず思い浮かべたのが、干支とは関係のない国のねずみのことだった。よく、ガソリンスタンドの管理職を対象にした教育研修で、ディズニーランドの接客に学べと訴えるインストラクターの話を聞くが、いくら完璧な接客をしても、ミッキーマウスがいなければ、あれほどのリピーター客をもたらすことはできまい。ディズニーランドの繁盛振りは、人間の力ではなく、一匹のねずみの力なのだと言っても良い。(事実、東京ディズニーランドを指す隠語は「鼠園」である)

 むしろ、ガソリンスタンド業界は、ミッキーマウスそのものから学ぶべきではないか。「蒸気船ウィリー」公開の翌年、米国はあの大恐慌に見舞われる。貧困と絶望にあえぐ人々に、小さいながらも、冒険心にあふれ、失敗してもくじけず明るく立ち向かうミッキーの活躍は、ひとときの安らぎと、かすかな希望を与えた。ミッキーマウスは、アメリカの、そして世界の“開拓者精神”の体現者であったのだ。

 今年、ガソリンスタンド業界は、史上空前の製品価格の高騰によって、一層厳しい経営環境に置かれた。販売不振が加速し、競争は一段と激化した結果、ガソリンスタンド経営はますます疲弊の度合いを強めている。ほとんどのスタンド経営者が、「一体、来年はどうなってしまうのだろう」という不安を抱きながら、年末を迎えていることだろう。いや、不安と言うよりもむしろ、恐怖とも言うべきものが、ひたひたと私たちを脅かしている。

 そんなときこそ、ミッキーマウスのように明るく、元気よく、積極的でありたいと思う。たとえ「袋のねずみ」のような気分になっても、あきらめず、粘り強く問題に立ち向かってゆきたい。「窮鼠猫を噛む」のことわざどおり、追い詰められたときこそ、これまで出なかった知恵や力が出せるというものだ。事実、幾人ものセルフスタンド経営者は、そのようにして決断し、行動し、いまも健闘している。小回りの利くローコストセルフこそ、厳しい時代を乗り切るうえで、ミッキーマウスのような存在であらねばと思うのである。

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