セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.217『映画の中のガソリンスタンド』

エンタメ・スポーツ

2008-07-21

 『和田さんのコラムには、時たま映画の話が出てくるんだけれど、よくご覧になるんですか』と尋ねられた。実際のところ、“よくご覧になる”程度ではない。学生時代に、映画評論家になろうかと半分本気で考えたこともある。したがって、趣味を聞かれたら、「映画鑑賞」ではなく、「映画評論」と答えることにしている。このコラムも、映画評のコラムだったら、毎週苦労することもないのだが…。とはいえ、このコラムは「セルフ雑記帳」である。どんな話題でも、無理やり(!)セルフスタンドと結び付けなければならないのだ。

 というわけで、今回は映画に出てくるセルフスタンドの話を書こうかと思ったが、映画の中に出てくるセルフスタンドは、ほとんど“通過点”のような存在であって、ドラマの中心的な舞台となることは皆無に近い。しかし、もしかしたらわたしの観ていない映画の中に、セルフスタンドが重要な役割を果たしている映画があるかもしれないので、ご存知の方はお教えください。

 ガソリンスタンドがまだセルフになる前の時代の映画にまで範ちゅうを広げれば、まず思い出すのは、1963年のフランスのミュージカル映画『シェルブールの雨傘』。雨傘屋の貧しい娘は近所の整備工場の青年と愛し合い彼の子を身ごもる。だが青年はアルジェリアに出征し、兵役期間が過ぎても青年は帰らず、乳飲み子を抱えた娘は彼女を慕う別の男と結婚してしまう。戦闘での負傷が癒えて帰国した青年は、恋人の結婚を知るのだった─。

 ラストシーン。数年後の雪の降る夜、夢だったガソリンスタンドを開業した男の店に、彼との間に生まれた娘を連れた女が偶然給油に立ち寄り、二人は再会する。ところでこの映画は、セリフがすべて歌という画期的なミュージカルで、「ハイオク満タンですか~♪」「ええ、お願いよ~♪」ってな具合なのだ。しかし笑ってはいけない。水銀灯の灯りに照らされ浮かび上がる雪のガソリンスタンドの美しいこと。元売マークは「Esso」。そこにたたずむ、当時20歳のカトリーヌ・ドヌーブの奇跡のような美貌。ミシェル・ルグランの名曲の流れる中、さりげなく言葉を交わしただけで去ってゆく女とそれを見送る男。いや~、映画って本当にいいもんですね~。

 『バック・トゥ・ザ・フュチャー』(1985年米)については、以前にも書いた。タイムマシンで30年前にタイムスリップした主人公の前に、30年前のガソリンスタンドが現われる。車が入ってくると、店内から一斉に揃いのユニフォームを着た男たち(帽子もかぶっている!)が3~4人飛び出してきて、給油や窓拭きを始める。公開当時のアメリカの観客は、この場面を見てニヤニヤ、クスクスしたのだが、日本の観客はもちろんノーリアクション。日本にセルフスタンドが登場するまで、まだ10年以上も待たねばならなかったからだ。でも、いま見てもこの場面にそれほど可笑しさは感じないかも。「日本型セルフ」は相変わらず人手が多く、20年前とさほど変わらない風景でシャレにもならない。

 アメリカ映画に出てくるガソリンスタンドは、大抵ダイナーやカフェ、モーテルやコンビニなどに併設されており、存在感は薄い。大陸横断のロード・ムービーにおいては、車中で喧嘩していた二人が少し頭を冷やして仲直りしたり、逆に分かれたりするシーンの舞台となる。コンビニ店員兼スタンド監視員の男を脅して現金を奪おうとしたら、逆にショットガンで反撃されたり、逃走中の銀行強盗コンビが、立ち寄ったダイナーのかわい娘ちゃんを口説いて、紅一点加わっての三人旅が始まったり、といった映画はきりがないほどある。そんな場面が出てくる度にスタンドのマークをチェックするのだが、案外独立系が多い。計量機や精算機のタイプに目を凝らしたり、セールスルーム内のレイアウトを観察したりして、映画を通じて“セルフ先進国アメリカ”からいろいろな事を学ぶことができる。こんな映画の楽しみ方もありますよ~というわけで、ハイもう時間ですね、それではみなさん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

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