セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.443『KFC』

社会・国際

2013-01-28

 先日,ラヂオ番組で小耳に挟んだ話。1920年代にケンタッキー州のコービンという田舎町で,ハーランド・サンダースという40代の男性がガソリンスタンドを経営していた。洗車やタイヤの空気入れなどを無料で行なったり,早朝営業など他のGSがやっていなかったサービスで評判になり,大繁盛していたらしい。ハーランドは,来店客からしょっちゅう,「この近所で何か旨い物を食わせる店はないかい?」と尋ねられ,「さぁ,こんな田舎町だからロクな店がなくて…」と返事をしているうちに,「そうだ,自分が“旨い物”を提供すればいいのだ」と思い立ち,1930年にGS敷地内の物置を改造して6席だけの小さなカフェ,「サンダースカフェ」を立ち上げる。

 素材にまでこだわった手作りの味が評判を呼び,GSはますます繁盛するようになった。ハーランドが特に自信を持っていたメニューはフライドチキンで,彼は客席を回って客に満足しているか尋ねながら,「もし美味しくなかったら,お代はいりません」と言うほどだったという。これが,「ケンタッキー・フライドチキン」(KFC)の原型である。あまりの評判に,ケンタッキー州はその功績を称え,ハーランドに「名誉州民」として「ケンタッキー・カーネル」の称号を与えた。この称号は,モハメド・アリやタイガー・ウッズにも授けられているのだが,「カーネル」といえば,あのおじいさんしか思い浮かばない。

 いまでこそ,GSにカフェやコンビニを併設することは珍しいことではないが,「サンダースカフェ」は当時では画期的な業態だったようだ。そして,今日まで試みられた様々な複合型GSの中でも最も成功した部類に入るものだった。その秘訣は何だったのか。フライドチキンが旨かった事は言うまでもない。しかしそれ以前に,GS経営者であるサンダース自身が来店客の声に耳を傾け,自ら考案してカフェを立ち上げたことにあると思う。一方,“オンリーワンを目指そう”と言っておきながら,地域の特性や経営者の個性などまったく反映させる余地のない画一的な元売既製の複合型GSは,何の魅力もない。事実,そうしたGSで大成功している例を聞いた試しがない。

 「サンダースカフェ」の成功も束の間,高速道路の開通によって車の流れが変わってしまい,1955年にハーランドは店を閉鎖せざるを得なくなった。その時ハーランドは65歳になっていたが,そこから新たなビジネスに挑戦する。彼は,自慢のフライドチキンそのものではなく,その「調理法」を販売することを思いついたのだ。フランチャイズビジネスというかつてない手法が誕生した瞬間だった。最初の契約を取り付けるまでに千件以上のレストランを,圧力釜などを積んだ車を自分で運転しながらまわったというから,その執念は並大抵のものではない。そして,チェーン店が600店までに増えた73歳の時,営業権を譲渡し,それ以降,世界中のKFC店舗を訪ねてまわり,フライドチキンが自分の開発した製法どおりに作られているか確かめるための行脚を続けたという。

 世界にひとつしかない個性的なGSを作った男が,今度は世界中どこで食べても同じ味を徹底させるために90歳の生涯を終えるまで働き続けたのだから,人の人生というのは面白い。しかし,ハーランド“カーネル”サンダースは,一貫して自分が良いと思ったものを売り続けただけだ。幾度も失敗や挫折を経験したが,決してあきらめずに,自信を持ってフライドチキンを売り続けたのだ。私も,この気構えに倣って,ローコスト・セルフシステムを広めてゆきたいものである。とりあえず,いま私は,無性にケンタのフライドチキンが食いたい。幸い,このコラムを書いているきょう28日は,毎月,ニワトリにちなんで「チキンの日」なのだそうで,お得な特別パックを販売中なんだとか…。

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