セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.449『震災二周年』

オピニオン

2013-03-11

 どの国にも,“あの時,自分はどこで何をしていた”と国民のだれもがはっきり記憶している出来事があるという。米国民であれば,ひと昔前は,ケネディ大統領が暗殺された1963年11月22日12時30分,最近であれば同時多発テロの起きた2000年9月11日8時46分が“その時”と言える。(いずれも現地時間) いまの日本人にとっての“その時”は,言うまでもなく2年前の3月11日だろう。

 18年前の1月17日の阪神淡路大震災も,決して忘れることのできない出来事ではあったが,地震が起きた時刻は午前5時46分だったため大半の人は就寝していたのと比べ,東日本大震災が発生したのは14時46分だったことを考えると“あの時”の記憶はより鮮明に残っていると言えるかもしれない。もちろん,どんな出来事も,当事者にとっては決して忘れることのできないものなのだが。

 「あの時,自分はどこで何をしていたのか」─私の場合,名古屋市内の8階建ての建物で所用を終え,エレベーターに乗ったところだった。緊急停止したエレベーターから降り,最寄のフロアで長い横揺れを経験したのだが,そこに居合わせた人たちのだれかが,「宮城県あたりで地震があったみたいだ」と言うのを聞いて,「そんなに遠くの地震でこんなに揺れるのか」と驚いたのを覚えている。結局,私はそのあと何事もなかったかのように午後の時間を過ごしたのだが,やはり動揺していたのだろう。大切な打合せの予定をすっかり忘れてしまっていた。

 東日本大震災は,日本の政治・経済・文化などに様々な影響を及ぼしたが,日本人の意識や価値観にも大きな変化をもたらしたと思う。私自身,被災地の人々の辛苦を見聞きすることで,あたりまえの生活を送ることが,実はあたりまえのことではないのだということを思い知らされた。セルフスタンドで過ごす単調な日々も,家族と交わす他愛もない会話も,決してあたりまえのものではなく,感謝すべきものなのだ。

 そりゃあ,人生一度しかないと思えば,いろいろなことにチャレンジし,ワクワク・ドキドキをいっぱい経験したいと思うのが人情だ。しかし,エジプトまで行って熱気球に乗ったことが人生の終わりとなることもあるわけで,いつどこでどんな事故や事件に遭遇するかわかりゃあしない。きょう一日,特別良いこともなかったが,悪いことも起きることなくご飯を美味しくいただき,温かい風呂に入って寝床に入ることができればそれで十分なのだ。

 私は,もうずいぶん前から,仕事にロマンやスリルを求めることなく,生活してゆくための手段に過ぎないとの考えでやってきたが,震災以降,その思いはますます強くなった。もちろん,否応なく環境の変化に対応してゆかねばならないこともあるが,いたずらに冒険心や虚栄心を膨らませて行動することのないよう自分に言い聞かせている。先日も,懇意にしていただいているセルフGS経営者の方と電話で話したが,その方が「和田さん,じっとしているのもエネルギーが要りますよね」とおっしゃったのにはまったく同感した。

 「なぜPBスタンドとなったのか」,「なぜローコストセルフにしたのか」─。これらの問いに対して,私は“いまのあたりまえの生活を続けたいから”と答えるしかないし,それでいいと思っている。未曾有の大災害から2年が過ぎたが,“あの時”からあたりまえの生活ができなくなってしまった人たちがいまだに何万人もいることを時々思い起こしながら,一日一日を感謝の念を抱いて過ごしてゆきたい。

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