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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.510『ヤルゼルスキ』

社会・国際

2014-06-02

 社会主義政権時代のポーランド最後の大統領だった,ウォイチェフ・ヤルゼルスキ氏が,先月ワルシャワ市内の病院で死去した。90歳だった。

 1980年,ポーランド国内ではレフ・ワレサ率いる自主管理労組「連帯」が急速に国民からの支持を得,遂に「鉄のカーテン」の向こう側で自由化・民主化が実現するのではとの期待が高まった。そんなさなかに首相兼共産党第一書記となったヤルゼルスキは,1981年戒厳令を布告,民主化運動を封じ込めようとする。しかし一年半後にはこれを解き,ソ連にゴルバチョフ政権が誕生してペレストロイカが始まったことに呼応するかたちで,「連帯」の合法化や自由選挙の実施を認めるなど,のちの民主化への先鞭をつけることに成功した。以後,東欧の社会主義政権が将棋倒しのように崩壊していったのはご承知のとおり。

 ヤルゼルスキといえば,東ドイツのホーネッカー議長やルーマニアのチャウシェスク大統領らと並んで,東欧諸国の打倒された独裁者の一人と目されているが,実は彼は体制側の人間でありながら,民主化を推進しようとしていたとの説もある。例の戒厳令も,1968年に起きた“プラハの春”のように,ソ連の軍事介入によって民主化の萌芽が叩き潰されないようにするための措置だったというのだ。結局ヤルゼルスキは,東欧諸国の中でペレストロイカの波にもっともうまく乗っかり,民主化を実現したとの評価もある。

 コワモテの支配者として振る舞い,敵も味方も欺きながら,密かに民主化への道を模索していたというのが事実だとすれば,ヤルゼルスキという男はなかなかのタヌキ親父だったということになる。これをGS経営に応用するなら,表向きは元売に対して恭順の意を示し,販促キャンペーンやディラーミーティングなどに積極的に参加する一方で,業転ルートの開拓やセルフ化の研究を進め,“自由化”に向けて着々と準備するという感じか。

 もし現在元売の“支配下”に置かれているGSが,仕入れ価格が高いことに業を煮やして,いきなり業転ガソリンをガンガン仕入れるようなことをすれば,サインポールやカードシステムを供与してきた元売も軍事介入的な強固姿勢を打ち出してくるだろう。元売をいたずらに刺激し警戒心を煽るのは,いくら痛快であったとしても決して得策ではない。もっとも,あしたPBになってもかまわないといえるだけの覚悟と準備ができているなら別だが─。

 一方,一度は独自のセルフシステムを導入することを決意しながらも優柔不断となり,元売からの好条件を引き出そうとして手の内を明かしてしまったがために,「御社のGSは,弊社にとって重要な店舗ですから…」と懐柔された挙句,改造補助なしでは運営できない高コストのセルフスタンドにさせられる羽目になった会社もある。もっとも,もし自社のGSが,米国にとっての普天間やロシアにとってのセヴァストポリのように,元売にとって決して失いたくない要衝であるのなら,それはそれで結構なことで,せいぜい元売からの厚遇を受けるべく交渉に励むことをお勧めする。

 いずれにせよ,いつかは元売のもとから独立したいと考えている方も,元売とこれからも付かず離れずやって行きたいという方も,ヤルゼルスキのようなしたたかさを持ち合わせていなければならないのかもしれない。

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