セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.521『ガソリンガール』

GS業界・セルフシステム

2014-08-18

 「JX日鉱日石エネルギー」のホームページの中に,戦前からのガソリンスタンドの歩みを紹介するページがあるのだが,それによると,昭和初期,給油所の店頭では,「ガソリンガール」と呼ばれる若い女性スタッフが和服で給油を行なうのが流行したそうだ。乗用車は,庶民にとってはまだ高根の花だったこの時代,車に関わる職業は花形職種の一つだったそうで,中でも「ガソリンガール」は職業婦人たちの憧れの的であったという。

 横浜に本社を置く「豊商会」というエネオス系GS経営会社は創業が大正13年(1924年)。そのホームページの社史によると「ガソリンガールは給油だけではなく客にお茶や煎餅を出したり,10ガロン(約38㍑)ごとに煙草「ゴールデンバット」1個を進呈するサービスなども行って売上を伸ばした」とある。この会社では,男性主任1人を除いて4人の店員がガソリンガールという時代もあり,正月三が日にはお汁粉を振る舞った記録も残っているという。

 ガソリンガールがどれほど集客に貢献していたかについては,昭和初期の次のような文章からうかがい知ることができる。『わたしは内幸町をあるいてゐた。そこへ一台のオートバイがガソリンを詰替るべくかけつけた。生憎,ガソリンガールは休んでゐた。「何だ,居ないのか」。さういつて疲れ切つたオートバイを引張つて行つた青年のがつかりした姿が,ありありと目に残つてゐる』─。

 ガソリンガール目当てに,はたまた,“どこそこの給油所のガソリンガールは可愛い”といったうわさに胸をときめかせながら給油所を目指した男性客が少なからずいたのであろう。いつの世も,殿方たちの考えることは同じですな。この文章を著した新居 格という人は,左翼の評論家として出発し,戦後は杉並区長に当選したという変わった経歴を持っていて,「モガ(モダンガール)」という言葉を流行させた人だったらしい。よくよく「ガール」が好きな人だったようだ。

 ところで,ガソリンガールの給料はどれぐらいだったのだろう。昭和6年6月13日付「函館日日新聞」には,22歳のガソリンガールを紹介する記事が掲載されている。彼女は午前8時から午後10時まで勤務,公休は第3日曜日で月給は25円。つまり,休みは月1回で1日14時間働いていたことになり,月給は現在の金額に換算すると約9万円ということで,当時としても低賃金かつ長時間労働であったことがわかる。

 歳月が流れ,現代のガソリンガールたちはといえば,いまやGS業界には不可欠な存在である。接客や給油のみならず,洗車や修理,クレンリネスから店舗管理まで何でもこなす「スーパーガール」も少なくない。昔も今も“看板娘”の存在は大きい。しかし同時に,彼女たちの待遇もまた昔と変わっていないように思う。むしろ,いつ果てるともなく続く価格競争によってGS業界は疲弊するばかりで,彼女たちの奮闘に報いることがますます困難になっている。いつしか,憧れの職業であったガソリンガールは,若い女性から敬遠される職種になってしまった。こんな女に,いや,こんな業界に誰がした…。

 余談だが,札幌市には,「ガソリンガール・東札幌石油」というPBスタンドがある。しかし,このGSに「ガソリンガール」はおらず,「ガソリンがある」だけらしい。失礼しました…。

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