セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.560『謝らない人たち』

オピニオン

2015-06-01

 先月,私の店で似通った出来事が二度起きた。まず,高級車に乗った年配の女性客から,ガソリンが出ないと呼び出された。監視室のセルフコントローラーには,給油許可を求めるシグナルは来ていない。スタッフが出て行って調べたところ,「ハイオク」のスイッチを押して,「レギュラー」のノズルを給油口に突っ込んでいた。

 「お客様,油種選択ボタンをお間違えのようです」と伝えると,「ワタシ,ちゃんとレギュラーのボタン押したわよ」と女性客。「でも,このとおりハイオクのランプが点滅していますよ」「じゃあ,レギュラーを押したのにハイオクのスイッチが入ったんじゃないの?」─。

 もう一つの出来事は,給油を終えた60~70歳代と思しき男性客が,領収書(レシート)が出ないと言ってきた。ロール紙が切れたのかと思い,スタッフが飛び出してゆくと,レシートボタンが点滅していたので,押したところ,レシートが出た。つまり,単なる押し忘れである。ところが,「レシートが必要なときは,このボタンを押してください」との案内に対して男性客は,「押した」と主張して譲らない。「何度も押したけれど出なかった」とも─。

 確かに,どんな機械も“絶対に誤作動しない”とは言い切れまい。しかし,今回のケースはどちらも,客の勘違いであることは明白だ。ハイオクのボタンを間違えて押してしまったのであり,レシートボタンの存在を知らなかっただけのことである。では,この二つの出来事から得られる教訓は何か。『人間は誤動作をすることがある』?『人間は勘違いすることがある』? 否。『人間は,明らかに自分に非がある場合でもそれを認めようとしないことがある』ということだ。

 「あらごめんなさい,間違えちゃった」とか「ああ,そうか。スマン,スマン」と言うだけのことなのに,彼らは,頑として“自分は間違っていない”と言い張るのだ。GS従業員如きに,非を認めて謝るなんて,沽券に関わるとでも思っているのだろうか。あるいは,どうしてもこちらに謝らせなければ気がすまないのだろうか。まあ,どうでもいいっちゃあどうでもいい事なんだけれど,なんだか情けなくなる。

 最近,謝らない人が増えているのだという。謝ってしまうとそれによって相手を調子付かせてしまうのではないかとの警戒心や,過度の自己愛によって,謝ることへの潜在的恐怖心がはたらくことなどが,その原因であるとされている。とりわけ,自分より下だと思っている人に謝ることに,強い抵抗感があるようだ。国際外交の世界では,この傾向が顕著で,「謝る」イコール「負け」ということなのだから,“話し合いによる平和的解決”なんて到底無理だといわざるを得ない。

 かつてはだれもが持ち合わせていた道徳心が廃れつつあるいまの世では,フルサービスのGSで接客サービスに従事している人たちは,地雷原の中で働くようなものかもしれない。客の側に非があっても,店側に責任転嫁して,謝らせようとする。こちらがミスしようものなら,素直に謝っても,土下座しろだの,幾らかよこせだのと脅してくる輩もいる。そんな客に遭遇した従業員は,勤労意欲を破壊されかねない。ホント,大変だ。こんな危機的な時代には,やはりGSはセルフ化して,なるべく客との接触を避けるに限る。

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