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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.612『イチロー語録』

エンタメ・スポーツ

2016-06-14

 1993年6月12日に新潟県・長岡悠久山球場で,近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの一戦が行なわれた。試合結果は5対3でバファローズの勝ち。勝利投手は,前年までに3年連続で最多勝利投手に君臨してきた“スーパーエース”野茂英雄。7回まで無失点投球だった野茂は,8回表にブルーウェーブ2年目の無名の外野手にソロホームランを浴び,完封を逃してしまう。19歳のその選手にとって,それはプロ入り初ホーマーであった。

 「点差が点差でしたからね。でも野茂さんから打ててよかった」─。翌日の新聞に載った彼のコメントは行数にしてわずか二行ちょっと。その年に彼が打ったホームランはこの一本だけ。43試合に出場し,64打数12安打,打率は1割8分8厘に終わった。彼が翌94年に210本の最多安打記録(当時)を打ち立てるなどとだれが想像できたであろう。そう,彼の名は鈴木一朗,「イチロー」である。

 昨年,メジャー三つ目の球団,マイアミ・マーリンズに移籍したイチローは,安打数が100本を切り,打率も2割2分9厘。さすがの安打製造機も寄る年波には勝てないのかと思いきや,今年42歳のイチローは,スタメン起用されるとヒットを量産,メジャー通算3千本にあと26本(6月13日現在)まで迫っている。150年近い歴史を持つMLBにおいて,3千本を越えるヒットを打ったのは,これまでたったの29人。しかも,イチローはその前に日本で1,278本のヒットを放っている。日米記録を合算すると(私はこれはあまり意味が無いし,ことさら騒ぐと失笑を買うと思っているが),あと4本でピート・ローズの世界記録に並ぶのだ。

 日本列島は梅雨に入り,ただでさえ明るいニュースの少ないGS業界は,ますます憂うつな雰囲気に陥りつつあるが,イチローの活躍は一時の爽快感を味わわせてくれる。彼を偶像視するつもりはないが,彼がこれまで語った言葉には,示唆に富むものが多い。例えば,『小さいことを重ねることが,とんでもないところに行くただひとつの道』と彼は語っている。同じようなことは,西川きよし師匠の「小さな事からコツコツと!」など,いろいろな人が言っていると思うが,イチローが語るのは“重み”が違うなと感じる。

 『考える労力を惜しむと,前に進むことを止めてしまうことになります』。よくヒーローインタヴューで“何も考えずに来た球を思いっきり振りました!”という能天気なコメントを聞くが,イチローは,どうすればあらゆるボールに対応できるか常に考え続けているのだ。それと共に,イチローと言えば,試合前の入念な準備が有名である。イチロー曰く,『準備というのは言い訳の材料となり得る物を排除していくこと』。結果の如何に関わらず,後悔しないよう,考え得る準備はすべて行なっておくこと。言うのは簡単だが,自分の“弱さ”と常に戦う強い精神力が必要だ。

 イチローは,「元気があれば何でもできる!」みたいなことを言う馬鹿ではない。『あこがれを持ちすぎて,自分の可能性をつぶしてしまう人はたくさんいます。自分の持っている能力を活かすことができれば,可能性が広がると思います』。“リアリスト”イチローの真骨頂ともいえる言葉である。『期待はいくらかけてもらっても構わないんですけど,僕は僕以上の力は出せないので,自分の力を目一杯出すしかないということですね』という言葉も,クールである。決して,しらけているわけでも,あきらめているわけでもない。確固たる信念と,飽くなき探求心があるからこそ,語れる言葉なのだと思う。

 こうなったら,イチローには50歳までプレーしてほしい。くれぐれもけがに気をつけて。ちなみに,イチローがメジャーリーガーとして初めて受けた死球は2001年5月2日の対レッドソックス戦。相手投手は野茂英雄だった。 

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