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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.616『光の国から僕らのために』

エンタメ・スポーツ

2016-07-12

 7月10日は『ウルトラマンの日』なのだそうだ。50年前のこの日(日曜日),TBS系列のテレビ番組「ウルトラマン前夜祭・ウルトラマン誕生」において,ウルトラマンが初めてお茶の間に姿を現した日にちなんでいる。これは東京・杉並公会堂で公開録画されたもので,ウルトラマンや怪獣がステージで戦うショー的内容の特別番組。視聴率は34%を記録した。そして,翌週から本放送が開始,翌年4月9日までに全39話が放映された。いまでは“クールジャパン”の代名詞ともいえる「特撮ヒーロー」の輝かしい歴史は,こうして幕を開けたのである。

 当時,私は4歳。多くの少年と同様,この巨大変身ヒーローの登場に驚愕し,毎週出現する怪獣や宇宙人に心を鷲摑みにされ,気が付いたときには,毎日“怪獣ごっこ”に明け暮れていた。「ウルトラマン」に続いて,「ウルトラセブン」,「帰ってきたウルトラマン」…と次々に“兄弟たち”があとを引き継ぎ,現在は,「ウルトラマンオーブ」が地球の平和を守っている。この「ウルトラシリーズ」は,2013年に,「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定され,現在まで記録を更新中とのことだ。

 「ウルトラシリーズ」番外編ともいえるものに,「ウルトラマンゼアス」がある。石油業界人なら知らない人はいないと思う。「ウルトラシリーズ」史上初の「企業タイアップウルトラマン」で,電通のコーディネイトによって,出光興産のCMキャラクターとしてガソリンブランド名「ゼアス」の名を冠し1996年に登場した。当初は出光がスポンサーとなっていた とんねるずのTV番組に出演するパロディキャラクターの予定だったが,紆余曲折を経て,オリジナル劇場映画として製作される事になった。20年前,私も幼い息子にせがまれる“ふり”をして,映画館まで観に行ったことを思い出す。

 「スポーツ報知」の連載記事『ウルトラマン誕生秘話』(全20回)によれば,日本はもちろん,世界にも例を見ない巨大変身ヒーローを主人公とした特撮ドラマの制作現場は悪戦苦闘の連続だったようだ。最大の問題は予算。全編カラー作品のためフィルム代はケタ外れ。怪獣も毎回,違うものが登場する。通常の30分番組の約3倍もの実行予算がかかってしまったそうだ。しかし,当時,日曜日の夜7時になると,全国の銭湯から子どもの姿が消えると言われた空前の人気番組を簡単に打ち切るわけには行かない。そこで,コスト抑制のために様々な工夫を凝らした。そのひとつが“怪獣の使いまわし”。怪獣の気ぐるみを改造して,別種の怪獣として再登場させるというわけ。ギャンゴはベムラーを,ザラガスはゴモラを改造したものだった。(このくだりは,分かる人にしか分からない) その極めつけは,エリ巻恐竜ジラースだ。東宝から無傷で返すことを条件に借りたゴジラの着ぐるみに,手っ取り早くえり巻きをつけて,ウルトラマンと戦わせた。しかし,途中でそのエリ巻をウルトラマンに獲られると,どう見てもゴジラ対ウルトラマン。図らずも実現した“夢の対決”に興奮したのを覚えている。(このくだりも,分かる人にしか分かりません)

 だれもやったことのない試み,混乱する現場,立ちはだかるコストの壁─。半世紀に渡って,子どもたちや,かつて子どもだった人たちを魅了してやまない「ウルトラマン」の物語は,苦難に直面しているGS経営者にも勇気や啓発を与えてくれる…とは少々大袈裟か。

  

 最終回「さらばウルトラマン」で,ウルトラマンは強敵・ゼットンに打ち負かされる。しかし,科学特捜隊の新兵器によってゼットンは粉砕され,“地球は人類の手で守る”という,物語の大きなテーマが描かれた。宇宙戦士・ゾフィーに手によって復活したウルトラマンは光の国へと帰ってゆく。放送終了直後,全国の子供たちが家の窓を開け,夜空に向かって「さようなら」,「ありがとう」と叫んだ,という話を聞いた“ウルトラの父”円谷英二は,「ああ,このドラマを作って本当に良かったなぁ」とつぶやいたという。感涙。

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