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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.891『暴力がもたらすもの』

エンタメ・スポーツ

2022-04-04

 連日,ウクライナで大勢の人が虐殺されている最中に,どうでもいいっちゃどうでもいい話題だが,例のウィル・スミスの「ビンタ事件」について。先月27日に開催された第94回アカデミー賞受賞式で,司会者のコメディアン,クリス・ロックがウィル・スミスの妻で女優のジェイダ・ピンケット・スミスの髪について飛ばしたジョークにキレたウィルが,壇上に上がりつかつかとクリスに近づくや否や,強烈なビンタをお見舞いし,席に戻ってからも,「妻の名前を口にするな!」と放送禁止用語を交えて怒鳴りつけ,会場が凍り付いてしまったという出来事。クリスはどんな“ジョーク”を言ったかというと,ジェイダの坊主頭をからかって,「次は『G.I.ジェーン』の続編を楽しみにしているよ」と。

 映画ファンならすぐに理解できるジョークだが,簡単に解説すると,『G.I.ジェーン』とは1997年製作のアメリカ映画で,当時スター女優だったデミ・ムーアが,海軍特殊部隊の猛訓練に挑む女性兵士を演じた。デミは,スキンヘッドと,鍛え上げられた肉体で主人公を演じ話題となったのだが,ウィルの妻が坊主頭にしたのは,脱毛症に悩んだ末のことだったため,妻の病気をジョークのネタにしたことにウィルが激怒したというわけ。クリスはジェイダの病気のことを知らなかったとのことだが,彼女は病気のことを数年前に公表し,娘の助言を受け,昨夏丸刈りにした姿をSNSで公開もしている。人種や宗教などきわどい話題で爆笑を取ってきたクリスが本当に知らなかったかどうか…。

 とはいえ,やはりウィルのあの振る舞いはまずかったと言わざるを得ない。妻の名誉を守るためだったなら,手を取り二人してその場を立ち去ればよかったんじゃないだろうか。彼は今回,主演男優賞の最有力候補だったので,受賞式にとどまりたかったのかもしれないが,結局,念願のオスカー像を手にしたものの,べそをかきかき謝罪スピーチをする羽目になってしまった。L..A.在住の映画ジャーナリスト・猿渡由紀氏は,この出来事は単なるハプニングでは済まされないと指摘している。『黒人が最も嫌うことのひとつに,テレビや映画に出てくる「怒りっぽい黒人」の描写がある。そのステレオタイプを崩すべく,多くの黒人が長い年月をかけて努力を積み重ねてきた。それを,スミスはわざわざリアルでやってみせた。常識人ならば感情を抑えるであろうところを,彼は抑えられなかったのだ。それは(妻への)愛でも何でもない』─4月2日付web版「東洋経済」。

 いま世界はロシアによる大いなる暴力行為に揺れている。永らく西側諸国に“冷戦の敗戦国”扱いされ怒りを募らせてきたプーチンが,遂に戦争という究極の暴力をもって応えたと言えるかもしれない。それは,取り返しのつかない破壊と殺戮をもたらしている。世界中が,経済,エネルギー,環境,金融でつながった現代において,戦争して得する国なんて無いにもかかわらず,核や化学兵器をちらつかせながら欧米をチキンレースに引きずり込もうとするプーチンは,もはや暴力を行使することが目的化しているとしか思えない。

 一方,戦火のウクライナでドキュメンタリー映画の製作を指揮しながら,人道支援活動を行なっている俳優 ショーン・ペンは,アカデミー賞授賞式で,ウクライナのゼレンスキー大統領に発言の機会を与えるべきだと主張し,「だが私の理解では,アカデミー賞はそうではない判断を下した」と批判。演説が実現しない場合は,「視聴者やゲストはボイコットするべきだ。私自身も帰国したら,公の場で自分のオスカー像を溶かす」と訴えた。結果は,ゼレンスキー氏の演説は実現しなかったので,彼は“公約”を実行すると見られる。ちなみに彼は主演男優賞を2度受賞している。2個とも溶かすのだろうか─。

 公民権運動のリーダー,マーティン・ルーサー・キングは次のように語っている。『暴力を通して諸君は諸君を憎む相手を殺すことが出来るかもしれないが,それで憎しみ自体を殺すことにはならない。事実,暴力は憎しみを増すだけである。憎しみはそのまま残る。暴力に対して暴力を持って報いれば,暴力は増加するだけであって,それはすでに星の輝かない夜に,より深い暗闇を付け加えることに等しい』─。キング牧師が夢見た“暴力のない社会”はいまだ兆しすら見えず,恐怖と憎悪の闇は深まるばかりだ。 

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