セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.895『知床の岬に…』

社会・国際

2022-05-02

 三年ぶりに行動制限のない大型連休を迎えることになったが,その矢先に痛ましい事故が起きてしまった。先月23日,北海道・知床岬の観光船が沈没,乗員・乗客26人が犠牲(内12人はは29日現在行方不明)となった。事故原因はまだ確定していないが,荒天の予報が出されている中で出航を強行したことや,船長が経験不足だったこと,船体に未修理の傷があったこと,通信設備が故障していたことなど,運営会社の杜撰な体質が次々に報じられ,「人災」との批難が高まっている。

 コロナ禍による経営逼迫でコストを削減せざるを得ず,そのツケとして人材不足や設備不良を引き起こしたという構図が見て取れるが,人の命を預かる商売である以上,「安全」を蔑ろにすることは許されない。危険物を扱う我々の商売も「安全第一」。セルフスタンド日進東は今月で開業22周年となったが,これまで何とか無事故でやってこれた。このたび,地元の危険物安全協会から表彰していただけることになったが,特別な事をやってきたわけではない。運が良かっただけかもしれない。ひとつだけ言えることは,システムもオペレーションも「シンプル・イズ・ベスト」に徹すること。コストを抑えつつ,安全なGS運営を続けるにはこれしかない。

 ところで,今回の事故で,知床だけでなく全国の遊覧船ツアーで予約キャンセルが続出しているとのこと。まあそうなるだろう。書き入れ時を前にして本当にとんでもない事をやらかしたわけで,同業者の落胆は察するに余りある。もっと大きいのは,遊覧船への信頼が大きく損なわれてしまったこと。“これくらいの天候ならいける。これくらいの傷なら大丈夫”といった慢心や“コロナ禍で被った損失を取り戻そう”という焦りが悲劇を生んでしまったとも言える。これは今後,どんな業種においてもかたちを変えて起こりうることだと思う。

 慢心や油断に気をつけなければいけないのは事業者だけではない。3回目のワクチン接種はまだ5割程度のうえ,コロナウイルスの新規感染者数が下がり切らないまま観光地へと人の波が押し寄せていることで,連休明けには第7波が始まると懸念されている。これまでの経験則から行けば,まずそうなるだろう。幸い,オミクロン株の変異種であるBA-1,BA-2共に病原性は低いようだが,「絶対」に安全とは言い切れない。欧米では,子どもたちが原因不明の急性肝炎に罹患するという事象が発生しており,アデノウイルスにコロナウイルスが何らかの影響を及ぼしているのではと推測されている。コロナ禍の社会はいまだ“波高し”。「これくらいなら大したことない」,「2年間我慢したんだから」という考えが,新たな犠牲者を出さなければ良いのだが…。

 ところで「知床」と聞いて私が思い浮かべるのは,加藤登紀子が歌う『知床旅情』。1970年にリリースされ,約140万枚もの大ヒットとなった名曲で,作詞作曲は森繁久弥。この歌のルーツはなかなか興味深い。

 知床半島先端の番屋で孤独に生きる老人が主人公の『オホーツク老人』という小説にほれ込んだ森繁は,1960年,自らプロダクションを設立して『地の涯に生きるもの』という題で映画化する。この作品が製作される前年,知床岬の沖合いで天候急変の突風のため15隻の漁船が次々と沈没し,89人が犠牲となる海難事故が起きた。羅臼町でのロケでエキストラとして出演した町民の中には,この事故で肉親を失った人たちも多数いた。撮影が終了し宿を発つ朝,森繁は町民を集め,『さらばラウスよ』という歌の歌詞を張り出し,「お世話になった皆さんの後々のために歌を作りました。この歌を歌って別れましょう」と言って,自らギターを手に小節ごとに繰り返し教えて,最後に大合唱になったという。

 このエピソードを聞いて「思い出しておくれ 俺たちのことを~♪」というのは,海難事故の犠牲者のことだったのか,と合点した次第。ちなみに知床で「ハマナスの咲く頃~♪」というのは,5~8月とのこと。この先,知床の岬で毎年この季節に悲しみを新たにする人たちが増えてしまったことは,何とも痛ましい。安全を軽視することがいかに重大な損失をもたらすか,慢心や油断がどれほどの後悔をもたらすかを,肝に銘じなければならないと思う。

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