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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.910『42』

エンタメ・スポーツ

2022-08-15

 米国メジャーリーグにおいて,背番号「42」は全球団の永久欠番となっている。MLBで1947年から10年間 ブルックリン(現 ロサンゼルス)ドジャースで大活躍した俊足・巧打の内野手,ジャッキー・ロビンソンを讃えて1997年に制定された。彼がメジャーデビューした4月15日は「ジャッキー・ロビンソンデー」として毎年,すべての選手や監督・コーチが背番号「42」でプレーする。ロビンソンは, 出場1308試合,打率.311,1518安打,137本塁打,197盗塁の成績を残しているが,彼を偉大なプレーヤーたらしめているのは,その成績ではなく,彼の“肌の色”である。彼はアフリカ系米国人,すなわち黒人だったのだ。

 1862年に奴隷解放制限が発布されて間もなく発足されたMLBでは,黒人選手のプレーを禁止するルールこそなかったが,球団間の暗黙の了解によって締め出されていた。そのため,黒人だけの「ニグロリーグ」が発足し“本物”のメジャーリーガーに勝るとも劣らない選手が数多く活躍した。1946年,ドジャースのブランチ・リッキーGMは,チーム強化を図る目的で黒人選手に目を付けた。だが,実際に入団するとなれば,あらゆる方面から嫌がらを受けるのは必至だった。もしこれに怒って暴力沙汰などを起こせば,黒人選手は二度とメジャーリーグでプレーする機会を失うかもしれない。野球の実力だけでなく,卓越した忍耐力を持つ選手でなければならない─。その条件を満たしたのがジャッキー・ロビンソンだったのだ。

 入団交渉の際,リッキーは「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには,君は偉大なプレーヤーであるばかりか,立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ」とロビンソンに言い,いきなり右の頬を殴った。ロビンソンは「頬はもう一つあります。ご存じですか」と答えたエピソードはいまや伝説となっている。

 果たして,リッキーの狙いは的中した。ロビンソンは行く先々で汚い野次や嫌がらせ,時には殺害予告も受けたが,自分に続く同胞たちのためにひたすら耐え続けた。そして,メジャー1年目からリーグ最多の29盗塁,打率.297の好成績を残し,この年から制定された新人王を受賞,見事黒人選手の実力を証明してみせたのだった。

 ロビンソンのメジャーデビューから75年後の今年,MLBは一人の“超人”の偉業に沸いた。大谷翔平は8月10日(現地9日)のアスレチックス戦で104年振りに「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」を達成した。1918年にそれを成し遂げたのは“野球の神様”ベーブ・ルース。だが,実はルース以外にもこの記録を達成したプレーヤーがいる。1922年,後に米野球殿堂入りしたブレット・ローガン(14勝15本)が,1927年にはエド・ライル(11勝11本)が記録しているが,二人とも黒人で,「ニグロリーグ」での記録のため,これまで注目されなかった。

 「黒人リーグ野球博物館」のボブ・ケンドリック館長は時事通信の取材に対し,「ショウヘイのおかげで黒人リーグについて話す機会が増えた。光を当ててくれてうれしい。ショウヘイの二刀流を最初,多くの人が無理だと言った。それはジャッキー・ロビンソンが経験した状況と似ている。両者とも実力で懐疑的な見方を興奮へと変えたんだ」と答えている。当の大谷は,自分の足跡が人種差別という強大な敵と戦った人々のそれと重なっているなどという意識はないかもしれないが,試合後のインタヴューでこう語っている。「単純に(投打の)二つやっている人がいなかったというだけかなと思う。それが当たり前になってくれば,もしかした普通の数字かもしれない」─。偉業を誇るどころか,「普通の数字」と言ってのける謙虚さに,ロビンソンと同じ“開拓者精神”とでもいうべきものを感じる。

 メジャーリーグで最も活躍した日本人選手であるイチローもまた,ロビンソンとの共通点を持つ。ともにメジャー球団と契約を結んだ年齢は27歳の時。1年目に盗塁王と新人王に輝いた点も同じである。イチローは1年目でMVPも獲得しており,同一年に首位打者&盗塁王&MVP獲得は1949年のロビンソン以来の快挙だった。その後も2人に続く選手は出ていない。また,ロビンソンを前述のとおりの「適格者」として推薦した人物は,当時ドジャースのスカウトだったジョージ・シスラー。そう,シーズン257安打のMLB記録を持っていた大打者であり,その記録を2004年に破った人物こそ,イチロー(262安打)であった。ジャッキー・ロビンソンと二人の日本人選手をめぐるエピソード。実に感慨深い。

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