セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.911『油の日』

GS業界・セルフシステム

2022-08-22

 8月23日は「油の日」なんだそうな。西暦859年のこの日に,清和天皇の勅命により九州にあった宇佐八幡宮という神社が,京都・大山崎に移されたことに由来している。実はこの神社の神官が荏胡麻(えごま)の種子からの油を搾り取る長木(ながき)という道具を発明し,この技術に目をつけた朝廷がお膝元に遷宮させたうえで製油技術を全国に広めさせると共に,その独占販売権を八幡宮に与えることで,利権を得たということらしい。つまり油は油でも,灯明や食用として用いられた油の起源にまつわる話で,私たちの業界には直接関係はない。それにしても,いつの世も為政者と僧職者はズブズブの関係になりがちですな。

 ちなみに7月10日は「オイルの日」だそうで,理由は「710」を逆さにすると…「OIL」となるから。10月6日は「石油の日」。「106」を「1=イ,0=オ,6=ル」と見立てて並べ替えると「オイル」となるからなんだと…。方や平安時代にまで遡る史実に基づく記念日,方やかなり無理のある語呂合わせ。石油業界に関わる者としては少々情けない気分…。

 さて,京都・大山崎において荏胡麻油の権益を一手に握った八幡宮の神官たちは,朝廷並びに鎌倉・室町幕府の庇護の下,「大山崎油座」という“元売り会社”を設立し大いに繁栄した。「大山崎油座」から許認可権を得た業者は,行商として油を販売した。美濃一国のあるじとなった斉藤道三(1494?-1556)は,油売りから身を起こしたと言われている。いまで言うなら,ガソリンスタンドのおやじが一代で日本屈指の企業を興したようなものかもしれない。

 戦国時代に入ると,各地の戦国大名が独自の政策を打ち出すようになり,幕府のコントロールが利かなくなってくる。その結果,大山崎油座の商圏は浸食されてゆき,大山崎で油を購入することなく,自ら生産販売する商人が現れるようになった。“業転商社”の登場である。そして,その後,道三の娘婿だった織田信長が上洛を果たし室町幕府を滅ぼしたことで,大山崎油座の崩壊は決定的となった。

 信長が打ち出した楽市楽座政策は,大山崎油座のような既得権益に胡坐をかいていた商人たちを一掃することとなった。また,政治・商業体制を操っていた朝廷や宗教界の力を削ぐ意味においても,油座の解体は効果的だった。後に豊臣秀吉が天下を取り,油座の優位を認める保護策を取るが,そのころには菜種油が主流となっていたため,油座の衰退に歯止めをかけることはできなかった。

 90年代の特石法の廃止や輸入自由化,セルフ化などの改革により,石油元売の威光は衰えて行き,近年,合従連衡を図って体制を強化したものの,エネルギー産業はすでにパラダイム・シフトの時代を迎えており,“油売りの行商”である我々GS業界も衰退の一途をたどっている。雨後の竹の子のように増えていったPBスタンドも,「コストコ」のような“黒船”の登場で,優位性を保てなくなった。かつて油売りの行商人が,油だけでなく衣料品なども売って回ったように,「油外収益」に活路を見出そうとするGSも少なくないが,斉藤道三のような大成功を収めるのは容易でない。

 江戸時代に入ると,行商人は灯明・食用のほかに,「髪油」と言われるものも売っていた。江戸後期には力士の鬢付け油に代表される固形のポマードが主流となったが,初期のそれは椿油や菜種油などの液体状のものだったそうで,「水油」という変な名前で売られていた。行商人はその油の入った桶を持ち運び,柄杓で量って客の器に移したのだが,ねばねばの水油を注ぐのには時間がかかった。その間,行商人がセールストークを交えながらの雑談に興じている様子が,仕事もせずに無駄話をしているように見えたらしく,「油を売る」という,我々からするとあまり有難くない慣用句として今日まで使われることになってしまったとのこと。当時の行商人は決してサボっていたわけではない。むしろ,いまセルフスタンドで店番をする自分こそ「油を売っている」と言われそうで面映い気分である…。

コラム一覧へ戻る

ページトップへ