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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.912『大人は判ってくれない』

社会・国際

2022-08-29

『文科省の有識者会議は26日,児童生徒の生活面の注意点や問題行動への対処を示した教員用手引書の改訂版をまとめた。従来は,いじめや非行などへの対応に主軸を置いていたが,児童生徒の主体性を生かす指導を重視した内容に転換し,「ブラック校則」とも呼ばれる不合理な校則の是正を求め,児童生徒の基本的人権に配慮するものとする』─8月26日付「時事通信」。

 「ブラック校則」については,ずいぶん前からその異常性が指摘されてきたが,中・高等学校で実際に存在した校則を幾つか紹介してみよう。

 『異性との交際は成績50番以内の者に限る』(奈良・高校),『異性の先生と話す場合は20㌢以上の間隔をとること』(奈良・中学),『学内で異性と会話する場合は学校に「会話用紙」を提出し,許可を受け,会話室で行う事』(千葉・高校)『相手が父親や兄弟でも異性なので校外で一緒に歩いてはいけない』(東京・女子高)─。

 ホントにこんな規則が存在しているの!? ほとんど人権蹂躙じゃないかと思うのだが,生徒のみなさんはコレ,ちゃんと守っていたんですかね。もし破ったらどんな罰則があったのかも知りたいものだ。ほかにも『廊下は壁から10㌢離れて歩き,曲がるときは90度で曲がる』とか『トイレットペーパーは「小」につき15㌢,「大」につき30㌢までとする』とか,“刑務所かよ!”とツッコミたくなるような校則も。また,女子に限ると,スカートの丈の長さが規定に達しているかどうか登校時に跪かされたり,「肌着は木綿で,はきこみの深い白のグンゼ」かどうかを定期的に身体検査されたり,もはやセクハラ・パワハラで訴えられても仕方ないようなことが行われている学校もあるという。

 無論,人間社会には規則が必要であることは言うまでもない。信号機のない道路を走りたいと思うだろうか。建築基準を無視して建てた家に住みたいと思うだろうか。私たちが安全で健康な生活を送るために守るべき規則は必要だ。しかし,規則を作る立場になった者は,往々にして,自分の監督下にある人たちを過度にコントロールしようとするのである。

 日本では,一部の能力が突出して優れていることより,すべての能力が平均的であることが好まれるようだ。その考えから,すべての学生に規律を求め,制約を課すことで“健全な”学生生活を送らせるというのが日本の学校教育の基本となっている。そして「秩序」という大義のもと,はみ出しものを生み出さずにみんな同じ条件のもとで管理することを目的とした「拘束」…じゃなかった「校則」が生まれ,時代の変化に順応するどころか弾圧するような形で様々な付帯規則が追加された結果,学校はいつしか「ブラック」な場所になってしまったというわけだ。

 「子どもたちが社会に出るまでは大人がちゃんと見守ってやらないと…」という本来良い動機が,子どもの自由な発想や柔軟な思考の邪魔になってしまっては元も子もない。例えば,栃木県の小学生が重いランドセルに2本の棒を取り付けてキャリーバッグのようにして運べる「さんぽセル」というアイディア商品を開発した。「脱ゆとり」のおかげで,ランドセルの重さは十年前の二倍になったとも言われており,体重20㌔の小学1年生が背負うランドセルの平均的な重さは6㌔。これは体重60㌔の大人が18㌔の荷物を運ぶのと同じだ。ちなみに,18㍑の灯油が入ったポリ容器は15.5㌔。この重荷から子どもたちを解放する道具を,子ども自身が発明したのだから,大人たちは皆拍手喝采と思いきや,批判が殺到したという。

 「何でランドセルを背負うかって,両手を空けて危険がないようにするためじゃない?」,「ランドセルって後ろ向きにこけたときに頭や背中をガードする目的もあったんじゃなかった?」,「道はずっと平らではないし,階段や坂もある。背負ってるほうが楽じゃない?」などなど。これに対し子どもたちは「なんで,キャリーを持ったまま転ぶの? ふつう手を離します。後ろに転ぶとすればそれはランドセルが重いせいです」と反論。「(階段を上がる時は) そのまま背負えばいいじゃん!すぐそれができるように作ってますよ」。そして,「大人も毎日灯油缶を背負って30分歩いてみてよ。ぜったい後ろに転ぶよ」─。子どもたちの痛快な回答に笑うと同時に,大人どもの愚問の数々に呆れてしまった。GS業界もあれこれ規制があって辟易するが,いまの子どもたちのほうがよっぽど大変だ。

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