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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.917『繰り返される歴史』

社会・国際

2022-10-03

 1938年10月1日,ナチスドイツは当時のチェコ・スロバキアの領土だったズデーテン地方に進駐し,第三帝国の一部とした。この年の3月,隣国オーストリアを併合させて勢いづいていたヒトラーは,「ドイツ系住民が迫害されている」と主張してズデーテン地方の割譲をチェコに迫った。もはや戦争やむなしとの気運が欧州に高まったその時,英・仏・伊の三首脳がヒトラーとミュンヘンで会談,ヒトラーの「これ以上,領土拡張の要求はしない」との約束を信じ,もう一方の当事国であるチェコを蚊帳の外に置いたまま,ドイツへの編入を認めてしまった。のちの英国首相・チャーチルは,著書『第二次世界大戦回顧録』の中でこの協定について,「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく,早い段階でヒトラーを叩き潰していれば,その後のホロコーストもなかっただろう」と述べている。

 それから76年後,ロシア・プーチン大統領は,クリミヤ半島に進駐し併合してしまった。ある歴史学者は,この時,欧米諸国の対応が弱腰だったことが,プーチンにウクライナ全土の征服という野望を抱かせと指摘しているが,それが事実であれば,ズデーテン併合に相当するものがクリミア併合,ミンスク合意はミュンヘン会談だったということになる。ただ,ナチスドイツが短期間にポーランドを制圧したのに対し,ロシア軍の侵攻はそうはならなかった。ウクライナ軍と国民の抵抗を前に電撃戦勝利という目論見は早々と打ち砕かれた。いまでは,欧米から供与された最新兵器を駆使するウクライナ軍に押し返されている。プーチン政権は国民への約束を反故にして予備役を徴兵したり,戦争中にもかかわらずウクライナ4州の編入を宣言するなど,まだまだ戦争を続ける気のようだ。

 ようやくコロナ禍のパニック状態が収まろうかという矢先に勃発した戦争もすでに7か月余り続いている。ロシアの旗色が悪くなっているからといって平和が近づいているというわけではなく,むしろ,核兵器が使用される可能性はますます高まっていると見られている。さもありなん。古代から独裁者は,自分が追い詰められたら,できるだけ大勢を道連れにしようとするものだ。例えば,ヒトラーは連合軍がパリを解放する直前,パリを廃墟にせよとの命令を下している。また,ソ連軍がベルリンに迫った時も,「戦争に負ければ国民もおしまいだ。この戦争の後に生き残るのは劣った人間だけだろう」と言い放ち,ドイツ国内のすべてのインフラや産業施設を破壊する指令を出している。幸い,どちらの命令も勇気ある司令官たちの反逆によって実行されなかった。

 プーチンがやけくそになって核のボタンを押しやしまいかと人類はハラハラしている。ウクライナのゼレンスキー大統領は,米国並びにNATOが,かつてのミュンヘン協定のように,自分たちの同意を得ることなく,プーチンと“手打ち”をしないよう国際社会に訴えている。世界の大多数の人が望んでいることは,プーチン政権が自壊し,欧米と協調する政権がロシアに誕生することなのだろうが,仮にそうなったとしても,第一次大戦が終わったあと,戦勝国がドイツに多額の賠償金を課したような“報復”をするなら,また民族主義や愛国主義に訴えるヒトラーやプーチンのような人物が現れるかもしれない。ある軍事ジャーナリストは二人の独裁者についてこう述べている。「プーチンもヒトラーも,悪い意味で「信念の人」だといえる。目的を達成するために手段を選ばず,それが思い通りに達成されないとしても,妥協したり諦めたりすることはないだろう」─。

 ちなみに10月2日は,無抵抗主義を貫き,良い意味での「信念の人」であったマハトマ・カンジーの誕生日(1869年)で,国連はこの日を「国際非暴力デー」に制定している。曰く,「平和,寛容,理解および非暴力の文化を実現する意思を再確認する日」なんだそうだ。さらに,いまから32年前の10月3日には東西ドイツが統合され,世界は平和で安全な社会の実現に近づいたと人々は期待したが,戦争の歴史は繰り返され,「非暴力」は遠のくばかりだ。

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