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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.918『ベーブ・ルースの神話』

エンタメ・スポーツ

2022-10-10

 3日,ヤクルト・スワローズ 村上宗隆選手がNPB歴代単独2位となる,56号ホームランを放ち,最終戦を劇的に締めくくった。9月13日に54・55号を連発して以来,当たりがパッタリ止まっていたが,14試合・61打席ぶりの一発だった。それまで,ポンポン売っていたのに…やはり,相当なプレッシャーがあったのだろう。だが,この記録に対するテレビや新聞の扱い方は「日本人選手として最多の…」というフレーズがやたらと強調されており“んっ!?”と─。

 冒頭で述べたとおり,この記録はNPB歴代単独2位であって,1位は60本を放ったウラジミール・バレンティンである。2011年27歳でヤクルト・スワローズに入団したバレンティンは,2年続けて31本を打ちホームラン王になると,2013年その打棒を大爆発させ,王貞治,ローズ(01年・近鉄),カブレラ(02年・西武)の55本を抜き去り60本を放ったのである。その年に記録した長打率.779はいまだNPB最高であり,OPS(出塁率+長打率)1.234は今年の村上のそれを.066も上回る。

 私の記憶では,バレンティンが56本目を打った時,今回ほど大騒ぎはしていなかったように思う。それが,村上選手については,空前絶後の大記録が誕生したようなテンション。バレンティンには触れることすらしない。違和感を感じていたら,R・ゲラー東大名誉教授が村上選手の成績を称えつつも「(バレンティンに対しての)暗黙の排他的意志を表しているようだ」と論じていた。そうであれば情けない話だな~。島国根性丸出しって感じだ。どこの国の選手でも,NPBでプレーしたのであれば公平に扱うのが当然じゃないだろうか。

 しかし,海の向こう米国MLBにおいてはもっと悲しい話がある。1961年,ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスは開幕からホームランを量産し,ベーブ・ルースのシーズン最多記録60本を35年ぶりに更新する勢いだった。ところが,当時はルースの記録は「聖域」であり,それを破ることは保守的な野球ファンには受け入れ難いことだった。せめて,ヤンキース生え抜きで,前年までに4度ホームラン王となっていたミッキー・マントルがそれを成し遂げるならまだしも,途中入団の外様で,陽気なマントルと比べて,ホームランを打ってもニコリともしないマリスには敵意が向けられ,ヤンキースタジアムでホームランを打ってもブーイングを浴びせられたという。

 さらに,生前ルースと昵懇で,彼を“神”と崇めていた,時のコミッショナー F・フリックが「ルースは154試合制の下で打ったのに対し,マリスは162試合の記録となるので,154試合目までに上回らなかったら,以後これを打っても新記録として認めない」との声明を発表し,マリスは61本を打ったが,それは参考記録扱いとなってしまった。正式記録として認められたのは30年も後のことで,その6年前にマリスは亡くなっていた。その後,サミー・ソーサが66本,マーク・マグワイアが70本,バリー・ボンズが73本と記録を更新。ところが,この3人は後にドーピング検査で禁止薬物の陽性反応が検出され,この度はマリスの61本こそが何にも汚されていない“真の記録”となった。その記録を61年ぶりに塗り替えたのが,ヤンキースのアーロン・ジャッジ(62本)というわけだ。

 ベーブ・ルースの記録にまつわる酷い話はほかにもある。ハンク・アーロンがルースの通算ホームラン数714本にあと1本と迫ってシーズンを終えた1973年,アフリカ系選手だった彼のもとに,ルースの狂信的な支持者や白人至上主義者からおぞましい脅迫状が毎日のように送られてきたという。「人生で最高であるはずが最悪の時だった」とアーロンは自伝で述懐している。彼は,この一件を声高に訴えることはしなかったが,漏れ伝わると,今度は全米から激励の手紙が何千通も送られてきたという。「脅迫状をこれで処分してください」とマッチを送ってきた人もいたそうだ。

 今年,大谷翔平がルースの持つもう一つの記録,「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」を104年ぶりに上書きしたが,いまのところ大谷選手に対する排他的な評価はなさそうだ。国や人種にかかわらず,記録は公平に評価されてしかるべきだ。あえて言えば,ルースの時代は,西海岸にチームはなかったし,黒人選手や南米の選手のいなかったことを考えると,むしろルースの記録が「参考記録」とは言えまいか。

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