セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.932『震災から得る教訓』

社会・国際

2023-01-16

 1月17日は,阪神・淡路大震災が発生した日。今年で28年になる。マグニチュード7.5の巨大地震が近畿圏を直撃,震源地に近い神戸市街は壊滅的被害を受けた。死者6,434人,25万棟もの家屋が全半壊した。被害総額は約10兆円。わずか15秒間の振動がもたらした災禍であった。

 この時,周辺家屋が焼失倒壊した地域でも,ガソリンスタンドは致命的な損壊を起こすことがなかった。そればかりか,防火壁が火災が広がるのを食い止めたという現象も数多く見られたという。兵庫県石商の調べでは,当時被災地にあった869ヶ所のGSのうち,「建物全壊」,「地下タンク破損」,「火災」のいずれもゼロだったとのことだから,その堅牢性が図らずも実証されたかたちとなった。

 阪神・淡路大震災によって明らかになったのはGSの堅牢性だけではない。対応にもたつく行政府を尻目に,震災直後から,瓦礫の撤去や炊き出し,被災者のケアなどに延べ167万人のボランティアが全国から参集し,復興の大きな力となることを知らしめた。そのため,1995年は「ボランティア元年」と呼ばれている。3年後には,多くが任意団体であったボランティア団体の立場を強化するため,NPO法人格を付与する法案「特定非営利活動促進法」が制定されることとなった。いまでは,5万を超えるNPO法人なくして,社会活動は回らない。市民が公共に関与するという,「明治維新以来の社会変革」(山岸秀雄・法政大学名誉教授)をもたらしたのは,あの大地震だったといえる。

 高度な救出救助能力を有する隊員と装備で編成されるハイパーレスキュー部隊が1996年に東京消防庁に創設されたのも,この震災がきっかけだ。いまでは全国の消防署に4千余りの部隊があり,海外での災害にも出動している。また,被災者に対する初期医療の遅れによって,当時の医療技術でも「500名は救えたはず」との反省から,厚労省はDMAT(災害派遣医療チーム)を2005年に発足させた。初仕事は2005年4月に発生したJR福知山線脱線事故で,「瓦礫の下での医療活動」により幾人かの命を救うことができた。

 もし,阪神・淡路大震災が起こっていなかったら,16年後に発生した東日本大震災の犠牲者はもっと多くなっていたのではないかと推測する。福島第一原発への放水活動はずっと遅れていたかもしれないし,ドクターヘリによる救出や被災地での医療活動ももっと手間取っていたかもしれない。そして,何よりも延べ550万人ものボランティアが組織的に活動できたかどうか。無論,反省点・問題点は多々あろうが,それはまた次の災害に教訓として生かすしかない。

 阪神・淡路大震災の影響はほかにも。1966年から発売が始まった地震保険は震災発生までは加入率が9㌫と低迷していた。震災直後に11.6㌫となり,2019年には33.1㌫に。これは地震保険のみの契約で,火災保険に付帯しているものも含めると66.7㌫にまでなるとのこと。しかし,もし家屋被害が全半壊500万棟と予想されている南海トラフ地震が発生した場合,現在の支払限度額や加入率で支払保険金を試算すると約55.7兆円に上るという。これは,現在の地震保険の支払保険金総額11.3兆円を遥かに超える。地震大国・日本の保険会社は,どえらいリスクを抱えているわけだ。

 防災グッズ必需品のひとつであるカセットコンロは,「阪神・淡路」の際,非常に重宝されたが,当時はメーカーによってガスボンベのサイズなどがまちまちで不便が生じた。そのため,ボンベの形状が1種類に規格化され,どのメーカーのカセットコンロでも統一されたボンベを使うことができるようになった。ちなみに,おとな2人が気温10℃で,レトルト食品を温めるため,温かい飲み物を作るため,殺菌・洗浄のために一日各3回湯を沸かすと,1.3本のボンベを消費するのだそうだ。震災において最も復旧に時間がかかるインフラはガスで,「阪神・淡路」の時は完全復旧までに61日を要した。我が家ももう少しストックを買っておこうか…。

 今年は9月1日に,死者・行方不明者10万人超の大惨事となった関東大震災発生から百周年を迎える節目の年でもある。当時と比べれば,防災・減災の備えは格段に進んでいるように思えるが,人口の密集度や高層建築物の数もまた当時とは比べものにならない。次の震災がいつどこで起きるにせよ,また尊い犠牲を払って教訓を学んでゆくしかないのだろうか。

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