セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.942『全員野球』

エンタメ・スポーツ

2023-03-27

 「おっさんビジネス用語」というものがあるそうな。再優先事項を意味する『一丁目一番地』,企画などをいったん白紙にする『ガラガラポン』,事が円滑に運ぶように同業者などに挨拶をしておく『仁義を切る』など,いまどきの若い人には理解できないらしい。だからといって,使っちゃいけないというわけではないし,ストレートに表現よりも,ニュアンスが伝わる言葉もあるので,若い人たちには“勉強”していただきたい。

 『全員野球』という言葉も,若い人には「?」なんだとか。まあ,集団競技は野球に限らずメンバー全員が団結・協力しなきゃ勝てないわけで,最近では,ラグビー日本代表の『ワンチーム』も同じ意味。こちらの方が若い人には受け入れやすいのかもしれない。それにしても,今時の若者は『全員野球』がわからないのかと嘆いていたら,その言葉の意味を否応なく知らしめる出来事が起こった。WBCでの日本優勝だ。ここからが本題です。

 日本中が沸いたあの日から少し時間が経ったが,“野球オヤジ”の一人である私としては,至福の時間を味合わせてもらった。ただ,私は「日本」を応援していたのではなく,「大谷翔平」を応援していた。仮に大谷選手が別のチームに所属していたら,そのチームを応援していただろう。そもそも大谷翔平は地球人じゃないんだから…。(笑)

 今回のWBCは“大谷翔平による,大谷翔平のための”大会であることは,だれもが認めるところだろう。だが,その大谷選手自身が「全員野球」を実践して見せた。準々決勝のイタリア戦。1回,2回と得点圏にランナーを進めながらも得点できず,嫌なムードが漂っていた3回裏,一死一塁で大谷選手は何とセフティーバントを決めた。まだ序盤だったが,これが日本打線に火を着け4点を奪取し,主導権を握った。

 何としても勝ちたいという執念と,塁に出れば後ろの打者がきっと返してくれるという信頼が,最強打者でありながらプライドを捨ててバントを選択させたのではないだろうか。「全員野球」とは,己を捨てて勝利に貢献する自己犠牲の精神の表われにほかならない。

 それとは対照的だったのが決勝戦の最終回。大谷投手は先頭打者に四球を与えてしまう。点差はわずか1点。無死一塁で迎えた打者はM・ベッツ。通算OPSは.888。小さな体のどこにあれほどのパワーが潜んでいるのかという強打者。だが,もし自己犠牲の精神があれば,あそこは送りバントだ。だがベッツは2球目を中途半端なスイングで引っかけ,併殺となり二死無走者となった。もし一死二塁となり,トラウト,ゴールドシュミットを迎えていたらどうなっていたかわからない。

 大谷投手は最後の打者となったM・トラウトを6球目で三振に仕留めたが,この球にも彼の「全員野球」の精神がこめられていたように思う。真っ向勝負の一騎打ちとなれば,力でねじ伏せたくなるのが投手の性だ。事実,2ストライクはいずれもストレートで空振りを奪っている。しかし,大谷投手は自我を捨て,勝利のために,確実に三振を取れるスライダーを投じた。無論,世界最高レベルのスライダーではあったが,もし自分の力を誇示せんとしてストレートを投げていたら…。

 繰り返しになるが,「全員野球」とは,個々人がベストを尽くすと同時に,自己犠牲を払うことだ。確かに米国チームは,東京五輪の時とは比較にならない,スター選手がずらりと並ぶ最強軍団だったが,もっと凄いチームにできたはずだ。もしニューヨーク・ヤンキースが,エース G・コールを参加させていたら,野手陣に比べてやや見劣りのした先発投手陣はぐっと威力を増したことだろう。もし,A・ジャッジが加わっていたら,日本投手陣は粉砕されてしまったかもしれない。また,A・リゾがイタリア代表で打線の中核を担っていたら,大谷投手は5回2失点ですんだかどうか…。

 以前から,ヤンキースのJ・ジラルディ監督は,優勝するためには各選手が統一したプログラムに従ってトレーニングすることが必須との考えで,WBCへの参加には消極的だと報じられていた。MLBの名門 ヤンキースのこうした姿勢が,“全米野球”の実現を阻み,日本チームに有利に働いたのかもしれない。三たび強調させてもらうが「全員野球」とは,自分の利益や幸福よりも,他の人のために行動する崇高な精神の比ゆ表現であり,次の世代へと継承してゆくべきで,死語にしないでほしいと思う。

コラム一覧へ戻る

ページトップへ