セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.91『新春の寒空の下で』

GS業界・セルフシステム

2006-01-09

 三年ほど前に、人を介して商社系石油会社のKという人物に会った。リストラで雰囲気が悪くなる一方の会社に嫌気が差し、脱サラして独立系ガソリンスタンドの経営をしたいとのことだった。ついては、閉鎖中のスタンドの情報があれば紹介してほしいとのことで、その後電話で連絡を取り合ううちに、愛知県内に適当なスタンドを見つけることができた。退職金と金融機関からの借入金とでセミ・セルフスタンドとして開業、希望と野望を抱いてスタートしたのだが、昨年末をもって廃業してしまった。

 最大の要因は、思い通りに売上げが伸びなかった事だが、それに追い討ちをかけるように、店舗の所有者が賃料の値上げを求めてきた事も大きかったようだ。また、ほとんど休みなく店頭で働き続けた結果、腰痛が悪化してしまったこともKの気力を萎えさせていたようだ。このままさらに借金をしてでも経営を続けるか、もはやこれまでと観念して廃業するかの決断を迫られ、後者の道を選んだのだった。貸主ときれいな形で契約解除するために、次の借り手を捜してきてくれないかとのKからの頼みを受け、心当たりのある同業者に当たったところ、運良く適当な方を引き合わせることができた。

 それにしても、三年前に社名をどうしようかという話になった時、「そうだね~、まわりのガソリン屋から“あのワルめ!”と言われるぐらいの存在になるということで、『越後屋』なんてどうだろう。“越後屋、おぬしもワルじゃの~”の越後屋。どお?ハッハッハッ」なんて楽しそうに話していたKが、先月会った時には、努めて明るく振る舞いながらも、「もう石油には関わりたくないよ」とこぼしていた姿は、悲哀を感じさせるものがあった。

 交通量の多い幹線国道沿いのスタンドで、間口もまずまずの広さ、敷地も三百坪近くあり、立地条件は決して悪くなかったのだが、競争相手がいずれも腕に覚えのある猛者揃いで、返り討ちにあう格好となった。年中無休でがんばってはいたのだが、営業時間が午前8時から午後8時ではいかにも短すぎたし、セミ・セルフという中途半端な受入れ体制を取ったことも結果的に失敗だったのかもしれない。私は、開業当初、可能ならセルフスタンドで24時間営業したらと勧めたのだが、そこまでの資金がないとのことだった。いまとなっては、何を言っても結果論なのだが、ローコスト・セルフで運営していたら、もう少し何とかなっていたのではないかと悔やまれる。実際、新たな運営者は、即セルフ改造の準備に取り掛かっており、恐らく今度こそ、本当に『越後屋』的存在となって、周辺のスタンドを脅かすことになるだろう。

 昨年も、各地で「老舗」「名門」「有力」などの称号を戴いていた大手ガソリンスタンド業者が、事実上の経営破たんに陥り、元売の子会社となったり、市場から退場する憂き目にあった。それぞれ、異なった事情があってのことだろうが、この業界で“勝ち組”となるための条件は、もはや店舗数や販売量ではないことがはっきりしたことだけは確かである。

 一方で、Kのように夢破れて、消え去ってゆく零細業者も後を絶たない。「巨大生物は環境の激変に耐えられないが小動物は生き残る」というのがかねてからの私の自説だが、恐竜(大手業者)は死んでからでも、元売によってその骨を拾い集められ、また組み立ててもらえるが、ネズミやモグラはそんな扱いをされることはない。もし、経営に行き詰まれば、経済的抹殺を覚悟せねばならない。他人事ではない。あすは我が身である。

 結局Kは、開業時借入金の残金の返済と、自宅マンションのローンの支払いという責任を果たすべく、待ったなしの“第三の人生”を歩むこととなった。もう石油には関わりたくないと言っていたが、その後どうなったのだろうか。昨年の大晦日の夜、彼の携帯電話にかけたがつながらず、留守録に「お疲れ様でした。どうぞ良いお年を…」と、いまから思えば随分間抜けなメッセージを入れたのだが、その後返事はまだない。

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