セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.295『創業家はつらいよ』

政治・経済

2010-02-15

 世界最大の飲料メーカー誕生かと注目されたキリンとサントリーの経営統合が破談となった。三菱グループの中核企業として保守的な社風で知られるキリンと、非上場の同族企業で自由な社風のサントリーとが本当に一緒になれるのかとの懸念があったが、「やっぱり」という結果となった。折り合わなかった理由は「統合比率」。サントリーの創業者一族の持ち株比率が、重要議案などの拒否権を行使できる3分の1を超えることにキリン側が難色を示したのだ。むべなるかな、である。連結売上高が4兆円にのぼる巨大企業を生み出そうかというのに、「創業家の発言力確保」だなんて、サントリーは本気でキリンと組もうと思っていたのかと疑いたくなるような話である。それとも、創業者・鳥井信治郎の言葉どおり、ダメ元で「やってみなはれ」ということだったのだろうか。

 一方、世界同時不況の直撃の傷も癒えないうちに、相次ぐリコールで窮地に立たされているトヨタ自動車。創業家直系の豊田章男社長が、あっちで謝罪、こっちで陳謝のお詫び行脚の日々を送っている。米国議会での公聴会に証人として呼び出されるとの話もあり、まだしばらくは針のムシロ状態が続きそうだ。社長が出てくるのが遅かった、現状認識が甘かったなど批判の雨にさらされている豊田社長だが、私は会見の映像を見ていて、「豊田」という名を持つ社長が謝る姿に、他のサラリーマン社長では発することのできない贖罪感とも言うべきものを感じた。何と言っても彼は創業家を背負っているのだ。“ごめんなさい”と言うのにこれ以上にふさわしい人物はいないではないか。

 というわけで、最近の出来事から、創業家というものの存在についていろいろ考えさせられた。会社が成長し、上場企業ともなれば、もはや創業家の私物として思い通りにするわけには行かない。創業家のエゴが会社の発展を妨げることもある。他方、会社が危機に直面するような時、創業家の存在は従業員を団結させる求心力となり得る場合もある。要は、創業家の人間が、その会社にとって必要な存在となり得るか否かということなのだろう。ガソリンスタンドは、元売や商社の全額出資子会社を除けば、大半が同族経営である。家族経営のいわゆる“三ちゃんスタンド”から、全国に何百店舗も展開するスーパーディーラーまで様々だが、その経営者の多くは、創業家の二世・三世である。

 これまでは、元売とのパートナーシップを強化することが、GSの成長に不可欠な要素であり、それゆえに創業家の人間が経営トップであることに大きな意味があった。元売側にも創業家の経営を後押ししようと、二世・三世の子息を預かり、教育・訓練を施したりしていた。しかし、時代は変わり、元売も変質した。元売の人間と「夜を徹して石油業界の未来について語り合い、飲み明かした」とか「ゴルフやカラオケに興じながらコミュニケーションを深めた」といった経験が、いまや大きな意味を持たなくなり、大手特約店も零細店も、ほぼ一律化されたルールに沿って管理されつつある。人間関係が希薄になる中で、創業家の人間であることがあまり意味を持たなくなってきた。むしろ、会社の“歴史”を背負っている分、環境の変化に十分対応できないことも多い。そうなると、創業家の人間であることが、かえって会社存続の足かせとなってしまうかもしれない。

 だが、一方で、創業家の人間であるからこそできることもある。例えば、元売との関係を解消したり、新たなパートナーを選択したりすることは、創業家にしか決断できない問題だろう。また、セルフ化を推し進めるにあたって従業員のリストラをせざるを得ない場合、創業家の人間が会社の事情を説明し、これまでの労をねぎらい、頭を下げることは大きな意味を持つ。激変するGS業界の中で、創業家が果たす役割も変わりつつある。前途多難。息子に跡を継がせたくないというGS経営者が増えていると聞くが、それもひとつとの賢明な選択といえるかもしれない。

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