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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.535『高倉 健』

エンタメ・スポーツ

2014-11-24

 京都の東映太秦映画村の近くにあるガソリンスタンドでアルバイトをしていたという人の話がネットで紹介されていた。場所柄,時折,映画やテレビで活躍する俳優さんが自家用車で給油に来ることがあったという。大抵は,何人もの取り巻きを従えて来店し,直接話をすることはできなかったそうだ。また,話すことができても,役ではいい人を演じている俳優が“何やコイツ”と思うような態度をとることも結構多かったという。ありがちな話だ。

 ある日のこと,あの大スターが一人でジープに乗って来店し,「すみません,洗車させてください」と断ってから,洗車しはじめた。少し寒い日だったので,気の毒に思ったGSの従業員が「手伝いましょうか」と声をかけると,「いえ結構です,一人でやります」と答え,黙々と洗車していたという。もうお分かりだろう。その大スターとは高倉健だ。映画のワンシーンのような話である。

 今月10日,83歳の生涯を閉じた高倉健は,テレビドラマや演劇に出演することなく,映画一筋に生きた“最後の映画スター”である。出演した映画本数は205本。しかし,その大半は,1950年代60年代にかけて量産されたB級プログラムピクチャーであり,とりわけ100本以上に渡って演じた役が,渡世人や博徒,前科者であった。ピ-ク時には年間10本以上も同じような役をやらされた健さんは,嫌気がさして東映を飛び出し独立する。もし,健さんがそのまま東映のスターのままでいたら,1970年代の「仁義なき戦い」シリーズにも常連となっていたかもしれない。

 自分の納得のゆく作品に出演したいと,安定した生活を捨ててまで挑んだ健さんだったが,しばらくは作品に恵まれず,私財を売って食いつないでいたという。健さんほどの大スターでも,独立するということは大変なことだったのだ。しかし,1977年に公開された「幸せの黄色いハンカチ」と「八甲田山」の2作品の演技で国内の映画賞を総なめにし,真の映画スターとしての地位を確立する。

 では,健さんは演技派俳優へ脱皮にしたのだろうか。私の考えはノーである。演技派俳優というのは,例えば,今年の8月に亡くなったロビン・ウィリアムズのように,善良な父親から凶悪な犯罪者まで,コミカルな役からシリアスな役まで,何者でも演じることのできる役者のことだと思う。その意味においては,高倉健という俳優は,最後まで寡黙で不器用で,それでいて人情に篤い男というキャラクターしか演じることのできなかった,いわゆる“大根役者”だったと思う。ただし,それは高倉健にしか演じられないものであったところが,健さんをスターたらしめた所以でもある。いや,「黄色いハンカチ」以降の健さんは,もはや演技などしていなかったのではないか。冒頭で紹介したGSでのエピソードのように,自分自身をそのまま投影しさえすれば,あとはそれに合わせて物語が展開していったのだ。まさに究極の“オンリーワン”俳優といえる。

 というわけで,今回は映画好きが高じて,石油もセルフもそっちのけの内容になってしまったが,ご容赦ください。最後に,高倉健主演作の中からマイフェイバリットを3本挙げさせていただきます。一本目は,やはり「黄色いハンカチ」(これははずせない)。2本目は健さんが東映スターとして主演した最後の映画「新幹線大爆破」(’75)。新幹線がスピードを落とすと爆発するという,あの大ヒット作「スピード」(’94・米)を20年も前に先取りした一級のサスペンス映画で,健さんは,なんとその爆弾を仕掛けて国鉄を脅迫する犯人を演じている。そしてもう一本は,健さんが中日ドラゴンズの監督に扮し,私の地元名古屋が舞台となった日米合作映画「ミスターベースボール」(’92)。私の住む町内でもロケが行なわれたが,あいにく健さんには会えなかった。

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