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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.568『土光敏夫』

政治・経済

2015-07-27

 1965年,石川島播磨重工業(現:IHI)の経営再建を果たした社長の土光敏夫は,親交の深かった東京芝浦電気(現:東芝)の会長,石坂泰三の懇請を受け,経営不振に陥っていた同社の社長に就任する。68歳だった。初出社の日,土光は石川島時代と同様,朝の7時半に出社した。当時,社員は8時半,前任社長は10時ごろに出社していたので,本社ビルに人影はない。怪しんだ守衛に,「どなたですか?」と尋ねられ,土光は,「このたび御社の社長に就きました土光というものです。よろしく」と答えたというエピソードはいまや伝説として語り継がれている。

 当時の東芝は,高度成長期を経て社風が華美になり,例えば社長室には専用のバスやトイレ,専属コック用の調理場まで設けられていたほどだった。だが,土光は重役の意識改革のためにそれらを叩き壊して大部屋にし,重役陣を集めた“重役長屋”にしてしまう。また,自動給茶機を持ち込み,「お茶は自分で入れろ」と指示する。一方で,歴代の社長が一度も訪れたことがないような地方都市の工場にも視察に訪れ,現場責任者に大幅な権限委譲を行なうなどして,従業員の士気を鼓舞していった。

 土光の推し進めた意識改革の結果,東芝は一年余りで危機を脱することができた。その土光が,いまの東芝が陥っている状況を見たら何と言うだろうか。社長から,3日以内で120億円もの利益をひねり出せ!と命じられたら,手品でも使わない限り,不正な会計操作以外に術がないことぐらい,命じた社長自身も分かっていたんだと思う。土光も重役たちをよく叱りつけ,“怒号敏夫”と恐れられていたが,まさかこんな形で後継者たちがそれを真似るとは思いもしなかったに違いない。

 経営者が部下を叱咤激励すること自体は間違ったことではないと思う。しかし,現場の実情を理解しないまま,ただただ業績を上げろと𠮟りつけるなら,命じられた側は追い詰められ,不正な手段を用いてでもそれを行なおうとするかもしれない。あるGSチェーンでは,洗車キャンペーンの目標実績を達成するために,アルバイト従業員も含むスタッフ全員が,洗車プリカを買わさせられたり,洗車会員の客に頼み込んで,2ヶ月分前倒しで会費を払ってもらったりしているという話を聞いたことがある。不正行為ではないにせよ,そのような方法で目標を達成することで,果たして会社は良くなってゆくだろうか。

 また,昨今,厳しいノルマ要求に起因すると見られる過労死や自殺が社会問題化している。どの業界も厳しい競争状態に置かれており,甘っちょろいことを言っていたんでは生き残れないことは事実だ。いきおい経営者は,時に度を越した目標達成を迫ることになる。働く側にも,上司に認められたい,昇進して高給を得たいとの思いに突き動かされ,心身の限界を超えて働いてしまうことがあるかもしれない。しかし,それは時に個人や会社にとってまさに命取りとなるような事態に発展することもある。組織の中で行動し評価されることに喜びを見出す日本人は,いま,働き方や個人と会社との関係について考え直す岐路に立たされているのかもしれない。

 土光敏夫は,東芝社長就任に際し,「社員はこれまでの3倍働け,重役は10倍働け,俺はそれ以上働く」と宣言し,その言葉通り猛烈に働いた。いまも数々の土光語録をバイブルとしている経営者は多い。しかし,人間性や道徳心を失い,ただただ数字を上げることばかり叫び続ける経営者は,結局破滅するということを,今回の東芝の事件は教えてくれたように思う。

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