セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.81『セルフ研究会』

オピニオン

2005-10-24

 旧約聖書の『列王記』という書に次のような物語が収められている。紀元前10世紀、シリヤにナアマンという武将がいた。勇猛果敢な人物として畏れられ、シリヤの軍司令官にまで上り詰めた人物であった。しかし、ナアマンは不治の病に冒されていた。今日、ハンセン病として知られる疫病が彼の肉体を蝕んでいたのだ。自分の顔や手が徐々に朽ち果ててゆくのをなすすべも無く見守らねばならなかったナアマンは、ある日自分の家の下女から、“サマリアにいる預言者なら、ご主人様を癒すことができるでしょう”との話を聞く。ナアマンは、藁をも掴む思いで、たくさんの贈り物を携え、家臣を引き連れてサマリアへ向かった。

 ところが、預言者は、ナアマンの一行を出迎える事もなく、代わりに一人の従者を遣わして、ヨルダン川で七回水浴びするようにと告げただけだった。誇りを傷つけられたナアマンは激怒した。「ヨルダン川で水浴びしろだと?ふざけるな!シリヤにはもっと美しい川が幾つもある!人をバカにするにもほどがある」─。

 ナアマンはシリヤに戻ろうとしたが、家来の一人がこう言ってなだめた。「ご主人様、もし預言者がもっと難しい行為や、高価な代価を求めたなら、それに応じようとなさるのではありませんか?ましてや、そんな簡単なことで癒されるというのなら、なおのことなさってもよいのではありませんか」─。その言葉に思い直したナアマンは、『預言者の言葉通りに七度ヨルダンに身を浸した。その後、彼の肉は小さな少年の肉のように元に戻り、彼は清くなった』─列王記第二5章14節。

 この物語から一つの教訓が得られる。つまり、“真理は単純明快なものだ”ということである。先日、神垣和典氏が主宰するSS-NETのミーティングが名古屋で開催され、私も出席させていただいた。以前、このコラムでも紹介したが、SS-NETはいまやガソリンスタンド業界ではつとに知られた、コンピューター・オンラインによる研究グループである。普段は、ネット上で情報や意見を交換しているが、時々“オフライン”ミーティングと称して集まり、研究会を開くのだ。

 彼らの主要な研究テーマの中には当然「セルフ化」も含まれている。今回も、セルフ化に伴なう様々な問題点について活発な討議が繰り広げられた。フィールド導線やアイランド周りなどのレイアウトの検討、精算システムの性能や価格の比較、クレジットやプリペイドなど各種カードの活用法、ドライブウェイ洗車機の設置や手洗い洗車コーナーの併設の効果などについて、次々と情報交換や分析評価がなされた。私は末席で耳を傾けていたのだが、いやはや、皆さん相変わらずよく勉強していらっしゃる。出る幕無し。

 しかし、少し気がかりなこともあった。「セルフ研究」が、次第にディープな世界になりつつあるように感じたのだ。確かに、セルフ化は高額な投資が伴なうのだから、十分な研究と周到な準備が必要であろう。しかし、豊富な知識があるがために、ややもするとマニアックな論議に陥り、単純なことを必要以上に難しく考えるようになってはいないだろうか。これは、昨今、ガソリンスタンド業界全体に見られる傾向でもある。セルフ化とは“単純化、簡略化、省力化”のためのスキームである。それを、まるで学術研究のように論じるのは、セルフシステムを複雑化させ、ひいては最もやってはいけない事─高コスト化へとつながる恐れがある。

 人間は往々にして、難しい理屈や高等な論理に弱い。逆に単純な事は蔑視されがちである。しかし、ナアマンがそうだったように、面子やこだわりを捨てて、素直な気持ちと謙遜な態度で物事を見つめると、案外、真理は単純明快なものであり、凡調な営みの中に救いが見いだされるのである。セルフ研究は、このことを念頭においてなされるべきであろう。

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