セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.868『悲鳴』

オピニオン

2021-10-25

 先週は連日,ガソリン価格高騰のニュースがテレビを賑わせていた。産油国は,昨年4月のコロナ禍による「マイナス取引」で被った損失がトラウマとなっており,なかなか増産に踏み切ってくれない。しかし,米国も欧州も日本も脱炭素の達成目標を掲げている手前,増産を露骨には求めにくい状況。こうして産油国も消費国も総すくみに陥りぐずぐずしているあいだに,回復基調に入った消費に原油の必要量が追いつかず,原油価格は1バレル80㌦を突破し,7年ぶりの高値水準で推移している。

 ガソリン価格の高騰は,どこの地方新聞も大きく取り上げているようだが,見出しによく見られるフレーズが“悲鳴”。消費者・ドライバーが悲鳴をあげているというのだが,私の店でお客様が“キャー”とか“ギェー”などと叫んでいるのを見たことは一度もない。(笑) 確かに,昨年と比べて1㍑30円ぐらい高くなっているわけで,収入が上がらない中での高騰はだれも歓迎するはずなどないのだが,日本人は自由主義諸国の中では稀有な我慢強さを持つ国民で,悲鳴こそあげるかもしれないが,暴動を起こすようなことはない。

 3年前にフランスで,燃料税引き上げに対する抗議デモが激化,パリ・シャンゼリゼ通りでは暴徒化したデモ隊と警官隊が衝突,乗用車や建物など約180ヶ所が放火され,観光客に人気のデパートは閉店,エッフェル塔やオペラ座などの名所も閉鎖されたことは記憶に新しい。当時のおふらんすのガソリン価格は約250円,軽油が約190円。恐らく日本では,ここまで上がったとしても暴動は起こらないだろう。

今回の原油価格高騰を受け,フランス政府は12月以降,国民の6割近い月収2000ユーロ(26万円)未満の3800万人に,「インフレ手当」として一人あたり100ユーロ(1万3千円)を給付すると発表した。マクロン大統領は,家計の購買力を上昇させる,公正で的を絞った対策だと自画自賛しているそうだが,やはり3年前の悪夢がよぎったがための施策だったのではないか。

 総選挙真っ最中の日本でも,国民民主党が,ガソリン価格が3ヶ月連続で160円/㍑を超えたら暫定税率分25・1円の上乗せを停止させることを公約に追加した。まあ,実現できないでしょうけど。一方,日本には4800万㌔㍑,約100日分の石油備蓄があり,それはいまよりずっと安い頃に買ったものなのだから,いまこそそれを放出すべきではないかとの意見もあるが,いまのところ検討すらされていないようだ。言うまでもなく備蓄施設の維持費等は税金で賄われている─。

 冒頭でも述べたとおり,消費国は原油増産を産油国に声高に求められないよう,自ら「脱炭素」という枷を課してしまっている。脱炭素社会を目指す以上,ガソリンの価格が30円上がったくらいで“悲鳴”なんかあげてちゃいけないのだ。いまの数倍,もしかしたら数十倍のガソリン代を払う覚悟がなければ,あるいは,石油を消費することによって享受している,快適な生活を我慢するか,捨てるぐらいの覚悟がないと「脱炭素社会」なんて到底実現できないという事を,今回のコロナ禍によるオイルショックが図らずも証明してくれたように思う。

 ガソリン売って飯を食っている者にとっては,これから先の展開が将来を決定付けることになるやもしれぬ。産油国が頑なに増産を拒み続けるなら,原油価格は100㌦の大台に乗ると見られている。そうなれば,いよいよガソリン価格は200円台に突入するかも。消費者の“悲鳴”は“絶叫”に変わり,自動車の脱炭素化は一段と進むだろう。だが,やはり“将来の地球環境のことより,きょうの皿の上の食べ物”ということになれば,原油は再び増産へと転じ,脱炭素は棚上げとなる恐れがある。そうなれば,まだしばらく石油業界は“安泰”ということになるが,それはすなわち,地球が発する“悲鳴”に耳をふさぐことにほかならない。

コラム一覧へ戻る

ページトップへ