セルフ給油システム・周辺機器 販売・施工
和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.875『山本五十六』

社会・国際

2021-12-13

 1940年9月,米国との緊張が高まる中,連合艦隊司令長官・山本五十六中将は近衛文麿首相の別荘に招かれ,日米戦争になったときの海軍の見通しについて見解を求められた。山本は「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら,2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが,かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」と答えたといわれる。

 山本を尊敬し,同じく対米戦に批判的だった海軍大将・井上成美は,戦後,この発言について厳しく批判している。「山本さんは,何故あんなことを言ったのか。軍事に素人で優柔不断の近衛公があれを聞けば,とにかく1年半は持つらしいと曖昧な気持になるのは決り切っていた。海軍は対米戦争やれません。やれば必ず負けます。それで連合艦隊司令長官の資格が無いと言われるなら私は辞めますと,何故はっきり言い切らなかったか」─。(阿川弘之著『米内光政』)。

 その後,米国の石油全面禁輸によって追い詰められた日本は,東南アジアの資源を奪取すべく対米英戦に踏み切る。いまから80年前の12月,山本率いる連合艦隊は,パールハーバーの米国太平洋艦隊基地を奇襲し,壊滅的な打撃を与えた。先制パンチで米国の戦意を喪失させ,講和を優位に進めたいとの戦略があったとのことだが,いま思うと,そんな虫のいいことができると本気で考えていたのかと唖然とする。

 欧州で激化する戦争の趨勢を睨みながら参戦のタイミングを計っていた米国政府からしてみれば,日本がまんまと挑発に乗って先に殴りかかってきてくれた。しかも,日本からの開戦通告が攻撃後に出されるという外交的失態も手伝って,それまで参戦に消極的だった米国世論は一転“リメンバー・パールハーバー!”となり,米国は世界大戦の主役の座に躍り出ることとなった。一説では,米国はパールハーバー奇襲を事前に察知しており,退役間近の戦艦を集めて攻撃させる一方で,空母はミッドウェーに避難させたのだと言われているが,真偽の程は定かでない。いずれにせよ,日本人だけで約310万人もの犠牲者を出した太平洋戦争の戦端を開いたのは,開戦に反対していた山本自身であった。

 山本五十六はこれまで多くの映画やTVドラマに登場した。古くは大河内傳次郎や三船敏郎が扮し,日米合作の大作『トラ・トラ・トラ!』では山村 聡が貫禄たっぷりに演じた。その後も,役所広司,豊川悦司,館ひろし,そして今月放映されるNHKのドラマでは香取慎吾が。兵士や犠牲者が無名化してゆく中で,山本は英雄物語に登場する勇者のように異彩を放っている。

 山本五十六を思慕し,憧憬の的とする経営者はいまも少なくない。戦艦を主力とした海戦が世界の主流だった当事,航空機で艦隊群を撃滅するという戦法で世界を驚かせたその発想力と行動力,そして部下を動かす統率力などがその理由だそうだ。「やって見せて,言って聞かせて,やらせて見て,ほめてやらねば,人は動かず」という山本の言葉は有名だ。確かに,秀でた頭脳と人格の持ち主だったのだろうが,その才能は,戦争というもっとも無価値で無慈悲な分野で発揮された。冒頭で近衛首相に答えた未練がましい物言いも,心のどこかに,手塩にかけて育てた航空部隊の力試しをしてみたいという軍人ゆえの思いがあったからではないか。

 日本が太平洋戦争を始めた目的は「石油」である。泥沼化した中国大陸での戦争を継続させるためには,石油が必要だ。米国が禁輸を課す以上,中国から撤兵するか,米英領地域から奪取するしかない。日本政府は後者を選んだ。“石油の一滴は血の一滴”のスローガンのもと,国民は窮乏に耐え,戦争を支持し,おびただしい血が流れた。80年経って,24時間いつでもガソリンを満タンにできる時代に生きていることを有難く思う。1939年,水から石油が採れると主張した科学者に,海軍次官だった山本は海軍共済組合において実験するよう命じた。反対するスタッフに対し山本は,「君達のように浅薄な科学知識ではわからない。深遠な科学というものはそうではない」とたしなめたという。だが,その科学者は詐欺師だった─。

コラム一覧へ戻る

ページトップへ