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和田商事株式会社

セルフ雑記帳

和田 信治

vol.929『戦争,貧困,クリスマス』

オピニオン

2022-12-26

 第一次世界大戦が勃発してから5か月が経った1914年12月24日,フランス北部で対峙していた英独軍のそれぞれの陣営から「きよしこの夜」が聞こえてきた。戦争が始まった当初は,クリスマスには帰郷できると信じて出征した兵士たちは,いま血の匂いが立ち込める凍てついた塹壕にいる。彼らの胸中に去来した思いは─。

 翌朝,両軍の兵士がどちらからともなく塹壕から這い出てきて,戦死者の遺体を回収し合同埋葬式を行ったほか,酒やタバコ,チョコレートなどを交換したり,記念写真を撮影するなどしてクリスマスを祝った。また,いくつかの場所では塹壕間の無人地帯でサッカーの試合に興ずる光景も見られたという。いわゆる“クリスマス休戦”である。

 ─そのまま,戦争やめちまえばよかったのにね。案の定,厭戦ムードが拡がることを恐れた両軍指導者たちは,このような非公式の停戦を認めない旨の布告を出し,以後,クリスマスなどお構いなしの消耗戦が1918年まで続いた。連合軍・同盟軍合わせた戦死者は1600万人,負傷者は2,000万人を超えたといわれる。

 クリスマス休戦は,悲惨な戦争の中での相互の尊重と人道主義が示された美談のように思えるが,そもそも殺し合った両国共,いわゆる「キリスト教国」だったことを忘れてはならない。それぞれの国の教会では,司祭が兵士たちに“神の加護”を求め,祝福して戦場に送り出している。『あなた方の敵を愛しなさい』というイエスの教えはどこへやら,国家と結びついた宗教指導者たちは,大殺戮の“共犯者”の役割を果たした。

 この構図は今も変わりない。『ロシア正教会のキリル総主教は,ウクライナでの戦争は罪との闘いの一環であるとして,ロシアによるウクライナ侵攻を正当化している』(3月8日付「AP通信」),『ウクライナ正教会のキーウ総主教,エピファニウス1世は,教会員を祝福し,ロシアの兵士を殺しても罪にはならないと述べた』(3月16日付「エルサレム・ポスト」)。どちらも,東方正教会に属する“兄弟同士”なのだが…。

 クリスマスにまつわる話をもう一つ。19世紀の米国の小説家 オー・ヘンリーの代表作「賢者の贈り物」。ある若い夫婦は,クリスマス・イブに互いに贈り物をしたいと思っていたが,生活は苦しく,贈り物を買う余裕はなかった。それでも夫は,愛する妻の膝まで届く長くて美しい髪を飾る髪留めをプレゼントしたいと思っていた。そこで彼は,祖父から受け継いだ金の懐中時計を質に入れ,べっこうの髪留めを買って帰宅した。

 アパートのドアを開けて彼は唖然とする。妻の自慢の髪は首元から無くなっていたのだ。実は彼女も夫が大切にしていた懐中時計に似合うプラチナ製の鎖を買うために,自慢の髪を切ってお金を工面したのだった。ふたりは「役に立たない」贈り物を笑いながら交換しつつ,あらためて互いの愛を確かめ合ったのであった。

 ─ええ話やなぁ,これぞクリスマスならではの感動ストーリー!と言いたいところだが,私はクリスマスって残酷だなぁと思ってしまう。あの夫婦が,無理してでも贈り物を買わなきゃならなかったのは,互いへの愛情以前に,クリスマスには贈り物をしなくちゃいけないという強迫観念があったからではないか。ある経済学者は,そのような“強制された贈り物”は興ざめであり不経済であると批判している。

 コロナ禍と物価高で経済状況が急激に悪化しているひとり親家庭では,プレゼントやケーキどころではなく,光熱費を払うのもままならない状態にあるという。厚労省が行った調査では,日本の子どもの7人に1人が貧困状態にあるとのことだ。その一方で,クリスマスが終わると,毎年膨大な量の食品が廃棄される。米国のある雑誌編集者は,「サンタクロースは大企業から給料をもらって,子供たちに貪欲を教え込む家庭教師を引き受けた。サンタは北極に置きざりにすべきだった」と,大量消費社会の象徴となったクリスマスを,痛烈に批判している。

 クリスマスは,キリストの死後300年ほどが経ったあと,時のローマ教皇がローマ帝国領内のキリスト教化を図るために古代ローマの祝日をキリストの誕生日に仕立て上げたもので,聖書に何の起源も持たない。どうりで“ご利益”がないはずだ。クリスマス・ミサの祈りもむなしく,戦争も,貧困も,疫病もやむことなく2023年を迎えようとしている…。

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